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2014/01/17

与論移住史 三池争議メモ1

 しかし、旅人となった島人たちは「世に慣れざる」とびきりのお人好しのままだったわけではない。大正に入り、軍隊を除隊した若者たちを中心に元組が結成されると、彼らは条件のいい場所を横取りすることの多かった地元組に制裁を加えて、一目を置かせたり、荷役主任、陳種次郎の横暴さに不満が募って集団で取り囲みこらしめて、荷役主任から外させたりするようになる。後者は「陳事件」として警察沙汰になるが与論の島人へはおとがめなしになった。そこには煽った者もなく思想性もなかったからだと言われている。ことは自然発生でありイデオロギーの背景もなかった。島人たちは差別的な待遇への不満という共通感情を持っていたのだった。

 この1919(大正8)年の「陳事件」は、三池移住の際に次ぐ、与論人の二回目の抵抗だったろう。しかし、それが与論人としてだけではなく、労働者としての抵抗への階段を上がるのは昭和を待たなければならなかった。

一九ニ三年、会社が一方的に三〇パーセントの賃金の引き下げを強行したため、翌年、大牟田の労働者が、共愛組合の撤廃を要求してストライキを決行した。六八三三人が参加し、争議はひと月余りに及んだ。  しかし、与論の民はひとりもこのストライキに参加していない。自分たちより優遇されていて、日頃自分たちを小馬鹿にする階層の出来事でしかなかった(p.60、『三池炭鉱「月の記憶」―そして与論を出た人びと』

 ここで、他労働者の7割、かつ朝鮮人より安かったとされる与論人の給与を見てみる。

与論島民が移住した頃、朝鮮人が五百名ほど荷役人夫として募集され、朝鮮組と土地組と与論組とに分かれて各組が競争で石炭の積込みを行なった。与論人は朝鮮人より生活程度が低いと一般にみられていた。(p.28、『与論島を出た民の歴史』

 とあるように、移住当初からそうだったわけだが、それから20年を経過した陳事件のデータを比較した考察がある。

1919(大正8年)

与論
男性 55銭
女性 40銭

他(与論と同じ坑外の場合)
63銭~1円

97銭~2円40銭(坑内)

囚人坑夫
坑外 鍛冶工 44銭
坑内 支柱夫 45銭、大工 43銭、雑役夫 34銭」

 この比較に基づくと、

「囚徒坑夫を除いた、三池炭鉱労務者の最も低い賃金に据え置かれていて、差別の根幹を担わされている」(p.53、竹松輝男の資料、『三池炭鉱「月の記憶」―そして与論を出た人びと』

 なぜ、そうだったのか。武松はこう理解している。

囚徒坑夫は、個人に入る金額はわずかで、多くは収監されていた刑務所に入った。坑外坑内の差があるとはいえ、職種によっては、与論の民は囚人より安い賃金に据え置かれていたのである。
 これについて、武松さんは、与論の地理的・歴史的成り立ちを踏まえ、与論の民が日本人とはみなされていなかったからだと分析した。囚人は、いくら罪を犯したとはいえ、日本人の枠の中に入っていたというのである。(p.54、『三池炭鉱「月の記憶」―そして与論を出た人びと』

 大和人との差があるだけではなく、囚人と比較が可能な水準にしかないのは、囚人が日本人の枠内にあるのに対して、与論人がその枠外にあったというのはその通りだろう。しかし、朝鮮人との比較はどうだろう。与論は名実ともには、1871(明治4)年に日本になり、日韓併合は1910(明治43)年だから、国家として日本の範囲内になった時期はそう違うわけではない。

太平洋戦争が始まると、当時の日本の植民地である朝鮮半島からも、たくさんの朝鮮人が日本に連れてこられた。朝鮮人と与論の民の賃金を比較すると、朝鮮人の方が高かったと武松さんは言う。 「植民地とはいえ、朝鮮人も日本人の枠の中には入っていませんでした。でも、朝鮮の人の中には日本人の九割の給料をもらった人もいました。与論の人じゃ考えられない。(p.56、『三池炭鉱「月の記憶」―そして与論を出た人びと』)

 移住当初から、朝鮮人より安いと言われた賃金は、戦中も変わっていないことが分かる。それにしても、なぜなのだろう。

 こうした差は、日本人と見なされてなかったことに加え、与論人の従順さ、勤勉さが加わらなければ説明できないと思える。要するに、あなどられたわけだ。

『与論島を出た民の歴史』

『与論島移住史―ユンヌの砂』


『三池炭鉱「月の記憶」―そして与論を出た人びと』


『むかし原発 いま炭鉱 - 炭都[三池]から日本を掘る』


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