ヨナ系地名の与論
東恩納寛惇は、「大日本地名辞書」のなかで、「ヨナ(yuna)」系の地名について、書いている。
ヨナ(yuna)の名辞類系極めて多し。 与那、与那原、与那覇、与那覇堂、与那城、世名城、与那嶺、与那川、与那升、与那堀、与那田、与那地(宮古郡下地村字川満の小字)、与那浜、与那良(八重山郡古見の小字)、与那国、与論(NがRに代る)、与路(NがRに代る)等其主なるもの也、而して此種の名辞は各地に散在して一所に限らざる事勿論とす。如上の地名は現在海岸地かもしくは曾つて海岸地たりし所に存在する点に於て凡て一致す。今ヨナの類語を求むるに、ヨナ木 yuna-gi 海岸地植物(Hibscus sp.)
ヨナジ yuna-ji 米水の腐敗したるもの
ヨナーメー yuna-me 一種の変化(略河太郎に同じ)混効験集云、よね、米の事也、又砂をよねともいふ事あり、元三の旦、内裏の御庭に砂置をよねまくといふ也。
庭に砂置くを、よねまくと云ふ事、砂の白きを米に因みて目出度く言ひ表したるにもよらむ。されどヨナ又はヨネの本義、米を先とすべきか、砂を後とすべきか、一概に定め難し。仮に如上の地名より帰納する時には、ヨナは砂の義とも云ひ得ん。されば、ヨナ木もヨナ地(砂地)に生ずる木の意にして、ヨナーメーといへるも亦海洋に因む語とも解し得んか。(p.35『東恩納寛惇全集 6』
)
ありがたいことに、与論も視野の外に置かれることなく含まれている。ところが、東恩納は、与論がヨナ系であるのを、「ゆんぬ」からではなく、「与論」から推論してしまっている。「与論(NがRに代る)」、というのだ。この推論もありうるのかと考える前に、東恩納でさえも、漢字表記から地名の語源を探る手続きをやってしまっている。
与那、与那原、与那覇と、漢字が方音を保存しているものが多いから、勢い、与論もその手と見なしたということなのだろう。東恩納が過たず、「ゆんぬ」を元に考察しても、ヨナ系の「類系」に入れたかどうかが気になるところだ。
ところで、これを読むと、18世紀の「混効験集」において、「よね、米の事也、又砂をよねともいふ事あり」という認識があったことが分かる。東恩納は、「ヨナ又はヨネの本義、米を先とすべきか、砂を後とすべきか、一概に定め難し」とあるが、現在にいるぼくたちは、これを、「砂」が先と言うことができる(cf.「砂州としてのユンヌ(与論島)」)。ただ、東恩納の時代でも、それは類推可能ではないだろうか。少なくとも「米」より先に「砂」はあるのだから。
「庭に砂置くを、よねまくと云ふ事、砂の白きを米に因みて目出度く言ひ表したるにもよらむ」というのは、自分たちもしてきたことだから、懐かしい。
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