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2013/12/09

勝連間切よろん村

 伊波普猷が、与論は勝連に属したことがあるとして挙げていた『琉球地名辞典』の記述は、確かにあった。(cf.「プサトゥ・サークラの出自」

 勝連間切はもと、南風原・西原・與那城・平安名・平敷屋・安勢理・屋慶名・濱・平安座・伊計・高江洲・見里(今作宮里)・饒邊・やぶつ・おそこ川・よろん・いけた・はんた・宮城の十九村を含み、與勝半島及びその海上に散布せる諸島に亙つてゐたが、延賓四年折半して二間切とし、その北半を與那城間切とし、又高江洲・宮里二村を具志川間切に割き、津堅を西原間切より入れ、内間・濱崎・小舎覇・比賀・神谷の五村を新設し、後又おそこ川・よろん・いけた・はんた・濱崎・小舎覇・神谷の七村を廃し、現在南風原・平安名・平敷屋・濱・比嘉・内間・津堅の七字を以てその所管とす。(『南島風土記―注釈 沖縄・奄美大島地名辞典』1974年

 東恩納寛惇のこの記述は、ずっと前にも見た気がするが思い出せない。その時は重要なこととして認識できなかったということだろう。

 「よろん」を廃したのは、「延賓四年」、つまり1676年だから、ずいぶん後のことだ。この「よろん」がわが与論のことだとしたら、実質、間切には存在しなくなったが、滅多にない間切の変更までは放っておかれたということか。

 「よろん」音の地名は、与論島以外に聞いたことがないので、伊波の言うとおり、「よろん」=「与論」である可能性はあるのだろう。ただ、間切を「よろん」とした時期は気になる。仮に伊波の言うように、阿麻和利が与論に関与したとして、それは15世紀なかばになるが、1431年の中山が「由魯奴」と表記する段階で、「海東諸国記」が「與論島」と記すまでまだ時間がある。間切り変遷の記録を書く元になった史料自体が、与論通称になった後であれば、自然だということになる。いや問題はそういうことではなく、「属島の与論島が、慶長役後割かれて、大島諸島中に加えられた」ということであれば、又吉大主は、勝連間切の総地頭として官位を授けられ、花城も勝連間切の地頭としてやってきたことになる。そうなのか?

 もう少し言えば、慶長の役後の領土交渉で、最初、与論は琉球に含まれていたという認識を、伊波は持っていた。伊波の考えの流れでいえば、与論は勝連間切に属しているから、最初、琉球の領土になったということになる。これも、本当かどうか、分からない。けれど、とても刺激的だ。


 ところで、ぼくは最初、1979年に発刊された『東恩納寛惇全集 6』で、該当箇所を読んだ。そこでは、1950年の『南島風土記―注釈 沖縄・奄美大島地名辞典』(1974年)の該当箇所は次のようになっている。

勝連間切はもと、南風原、西原、与那城、平安名、平敷屋、安勢理、屋慶名、浜、平安座、伊計、高江洲、見里(今宮里)、饒辺、屋富慶、おそこ川、与論、池田、半田、宮城の十九村を有せしが其後西原等九村を与那城間切に割き、高江洲、宮里二村を具志川間切に割き、津堅を西原間切より入れ、内間、浜崎、小舎覇、比賀、神谷の五村を新設し、後又おそこ川、与論、池田、半田、浜崎、小舎覇、神谷の七村を廃し、現今南風原、平安名、平敷屋、浜、比嘉、内間、津堅の七字を以てその所管とす。

 全集では、漢字にはルビが振られ、読みやすくなっている他、旧字体は新字体に改められている。でもそれだけではなく、一部、ひらがなは漢字に改められ、そこで「よろん」も「与論」と漢字表記になっている。その他、文章も編集が加えられた個所がある。

 全集にした段階で、編者たちが、「よろん」を「与論」にしたということは、これが与論島を指すという認識があっただろうか。それとも、これ以外の漢字はあり得ないと見なしてそうしたものだろうか。

 1947年、伊波が『沖縄歴史物語―日本の縮図』を書いた段階では、東恩納の記述は、「与論」ではなく「よろん」であったはずだが、伊波はこれに漢字を当てて引用したことになる。

 ところで、全集の段階での編集は編集過剰ではないだろうか。漢字にルビを当てるのは親切だとしても、表記を変えたり編集を加えたりするのは、受け取る側の認識の仕方が微妙に変わってしまう。

 こう思うのは、全集には奄美の地名のところに、与論島はないのだが、『南島風土記』では、「與論島」とある。全集の編集の段階で割愛されたということだ。残念なことだと思う。

 ともあれ、気を取り直すと、与論は、勝連に属したことがあり、それは阿麻和利の支配下だったという伊波の説の根拠を辿ることができた。


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