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2013/12/08

佐渡山豊、山之口貘をうたう

 昨夕、新宿中野の古民家レストラン、モモガルデンに、山之口貘の詩にメロディを添えて歌うアンプラグド・ライブに行ってきた。

 歌うは、シーサーズ、山下由、佐渡山豊。シーサーズの「座布団」は二重唱が心地よく、山下由の「紙の上」はご当人のパフォーマンスも楽しく、佐渡山豊の「会話」、「紙の上」、「弾を浴びた島」などは、パーカッション、サックスも加わり、音色も豊かだった。

 モモガルデンは住宅街にあるから、時間も遅くなれないし、音量を抑えめにしなきゃいけない。佐渡山豊も、「インクに乾いたのどをかきむしり 熱砂の上にすねかへる その一匹の大きな舌足らず だだ だだ と叫んでは」と歌う、もうその頃には、歌い手も叫びたいのだが、いや叫ぶのだが、そこを抑えめに歌うのだった。でも、その抑制は、山之口獏の詩に適っていた。音も抑揚もパフォーマンスも存分にできていたら、山之口獏の詩より歌が勝ってしまう気がしたのだ。だから、ゆうべはモモガルデンの制約が、控えめな音楽家たちのパフォーマンスが、山之口獏の詩を、詩として味わう余地を残してくれていたように、響いてきた。

 聴いているうちに、山之口のあの一見、たどたどしい言葉の運びは、フォーク・ソングに乗せやすいのに気づいた。これはひょっとしたら音楽家の力量がそうさせるので、勘違いかもしれない。山之口の詩にメロディを付けるのは難しそう。でもいったんメロディを決めると、フォーク・ソングにはまってしまう。それも70年代のフォーク・ソングに。これは言い替えると、音楽家にとっては課題になるのかもしれない。70年代のフォーク・ソングに回収されてしまっていいのか、という。

 ライブでは、山之口貘にまつわるトーク・セッションや彼の肉声、数少ない映像の披露もあって、それもよかった。本人による「妹」の朗読。

なんといふ妹なんだらう
ーー兄さんはきつと成功なさると信じています。とか
ーー兄さんはいま東京のどこにいるのでせう。とか
ひとづてによこしたその音信のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた、六・七年振りに手紙を書かうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです
そんなことは書けないのです
東京にいて兄さんは犬のやうにものほしげな顔しています
そんなことも書けないのです
兄さんは、住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなって
とひつめられているかのやうに身動きも出来なくなつてしまひ
満身の力をこめてやつとのおもひで書いたのです
ミナゲンキカ
と、書いたのです。

 たとえば、この詩を読んでいると、自然に生まれてくる抑揚があると思うのだけれど、それそのままの語り口で、これが聞けただけでも甲斐があった。

 山之口貘の「会話」や、沖縄への帰郷の際、沖縄口に飢え、沖縄口で語りかける彼に、共通語で返す沖縄の人々に戸惑い、躓く。そういう姿は大なり小なりぼくたちの近代というものだ。その佇まいのなかで、山之口貘の詩はまだ生きている。そのうえ、続けて曲に耳を澄ますうちに、特定秘密保護法への抵抗歌に聞こえてくるのだった。

 蛇足。「ぼくの生まれは琉球なのだ」。彼のこの台詞は、ぼくにもしっくりきた。

「がじまるの木」

ぼくの生まれは琉球なのだ
そこには亜熱帯や熱帯の
いろんな植物が住んでいるのだ

がじまるの木もそのひとつで
年をとるほどながながと
ひげを垂れている木なのだ

暴風なんぞにはつよい木なのだが
気だての優しさはまた格別で
木のぼりあそびにくる子供らの
するがままに身をまかせたりしていて
孫の守りでもしているような
隠居みたいな風情の木だ

 ところがそのがじまるの木は姿を見せなくなって
 島は暴風にめっぽう弱くなってしまって
 気だての優しさや隠居は
 人に任されてしまっているのが心もとないのだ

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