安田とのシニグつながり
安田シニグと与論シニグが共通しているのは、仮面仮装の来訪神儀礼という点で、これは両島のみでなく、シニグ全体に通じるものだ。
ただ、安田シニグが、「半裸の上にワラのガンシナ(鉢巻状の輪)と帯をし、それに山のシイなどの木の枝や羊歯の葉をさして頭から身体まで緑の葉で被う。特に頭にはその頃に赤い総状の実をつけるミーハンチャ(和名ゴンズイ)の枝をさして飾る。身の丈より高い木の柴枝をもつ」(小野重朗「シヌグ・ウンジャミ論」)と、本格的なのに対し、与論シニグは、「実の多くなったヤマブドウの蔓をたすきのように身にまとう」と仮面仮装の側面は薄れてしまっている。ただ、前日にウガン(御願)での夢見によって、豊作の如何を告げられ、シニグ神として迎えられるという、化身の側面は残している。
また、来訪神を迎えるという形態も共通しているが、与論シニグでは、来訪神としてのパル・シニグをムッケー・シニグが迎えるのに対し、安田シニグでは、山を降りてきた男たち、来訪神を「それぞれの組の主婦たちが飲物を持ってサカンケー(坂迎え)をする」ように、スタイルは違っている。安田の場合、以前は祝女が迎えていた。
安田シニグでは、山を降りる過程、集落を廻る過程で、柴竹を持って、男の子を前に列をつくり、「エーヘーホー」と唱えるが、与論シニグでは、男の子が唱えるのは、「フーベーハーベー」と違っている。ただ、どちらもお祓いの意味を持っている。
神送りの後、安田シニグの広場では、田草取りの模擬行為「田草取り」、船を走らせる模擬行為「ヤーハリコー」、輪をつくり踊る「ウスデーク」が余興のように行われる。与論シニグでは、これらの決まった模擬行為や踊りはないように見える。
豊穣祈願という意味では、谷川健一と松山光秀の考えを援用すれば、これはスクの予祝祭に起源を持ち、生産形態の変更に伴い稲を始めとした濃厚祭儀に転化する。ただし、与論シニグのショー・サークラでは、「うくやま ぴどやまぬぬ ししぬ まーまんなー(奥山辺戸山の猪の真中)」と唱えるように、狩猟時代の豊穣の意味を失わず持っており、シニグが農耕祭儀を起源にするものではないことも物語っている。
また、伊平屋島、伊是名島、沖永良部島、与論島、本部、伊計島、宮城島、平安座島、浜比嘉島というシニグの分布をみると、これはアマミキヨ、シネリキヨの南下によってもたらされたものだと思える。
シヌグは始祖神アマミキヨが出現してシマを祓う行事であることがわかる。安田では柴をもとって山を下る男たちを「アマン世の姿」だというが、それは始祖たちの姿の意であろう。(p.154小野重朗「シヌグ・ウンジャミ論」)
小野はこう書くが、「アマン世の姿」は、アマミキヨのそれではなく、アマン(ヤドカリ)を始祖を見なした時代のそれだと思える。
安田シニグにない要素としては、与論シニグが、沖縄の「神拝み」の側面を持ち、祖先が移住した経路を示す神路(カミミチ)を辿る過程を持つことだ。ここで、来訪神儀礼は、祖先儀礼へと接ぎ木される。また、パル・シニグとムッケー・シニグは、沖縄の門中に似た氏族集団サークラが行っており、かつサークラ全体で行う共同祭儀となっている点も新たに加えられた質になっている。
最大の相違点は、安田シニグでは来訪神は山に降りるのに対し、与論シニグは海からやってくる点だが、ここでは、地勢の条件により垂直的なものの水平的なものへの転化であると見なしておく。
安田シニグとの比較でいえば、仮面仮装の来訪神儀礼と豊穣際のは古層に属し、共同祭儀は新しいということになる。言い換えれば、狩猟・漁労の祭儀が農耕の祭儀となった時に、シニグ名称は与えられ、カミミチが発生し、共同祭儀化されたということだ。
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