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2013/11/11

王舅とは誰か 2

 「王舅」という名に違和感を覚えて、これは王の舅という意味か、朝貢使者の役職名ではないかと考えたが(「「王舅」とは誰か」)、野口才蔵の『南島与論島の文化』には、林清国、麓桓茂から聴き取ったとして、こんな記述があった。

 この部落(城-引用者注)は、北山の怕尼芝王の三男王舅が渡島して、樋口の高所に築城をなし、与論島の豪族の娘と結婚し、なお、王舅と祖先を同じうする又吉大主の子、花城真三郎が王舅より、四・五代後れて渡島して与論島主になり、その子孫と王舅の子孫との婚姻関係によって栄え広がった部落住民とみなされる。王舅が与論島に渡島した年代は、紀元一四〇五年(巴志中山を亡ぼす)から、紀元一四一六年(巴志北山をほろぼす)の間と推定される。なぜ渡島しなければならなかったか。巴志の勢力が強くなり、北山においても財力を高めるためには、大島あたりをおさえて、財力の補強にのりだしたからである。北山怕尼芝王の長男珉王は、王の後を継ぎ、二男真松千代は、沖永良部島に、三男王舅は、おくれて与論に渡島したのである。おくれた理由は、中国へ派遣された為であった。中国への正史には、王族でなければならなかった。その正史には「王舅」という役をつけたのである。それで、その役名をとって王舅といっているのである。(p.87、野口才蔵『南島与論島の文化』1976年)

 やはり、「王舅」は中国への使者の役職名であることが分かる。というか、そう認識されていたわけだ。その王舅の渡島時期は、1405年から1416年の間。この推定は、いずれも尚巴志の動向からなされている。そこで、与論城築城の終点も、北山滅亡が1422年とされることもあるから、1416年説と1422年説が生まれることになる。

 ここで気になるのは、王舅の渡島が「おくれて」とされていることだ。これは推定のなかからは生まれない発言で、「おくれて」ということだけ、伝承されていた形跡を伺わせる。ちなみに、珉の統治時代は、1393年から1395年または1400年とされ、真松千代は1400年頃には沖永良部島を統治していたとされている。一方、沖永良部島では、真松千代は、珉ではなく、攀安知の第二子とされることがある。

 これを元にすれば、その使者の名とは、「おくれて」に力点を置けば、1405年近くに朝貢使者を務めている「善佳古耶」か「亜都結制」が浮上してくる。「善佳古耶」と王との関係は「臣」とあり、身内の記述はない。また、「亜都結制」には王との関係を示す記述はなく、1405年に使者となった「赤佳結制」と同一人物である可能性もある。

 また、年齢からみれば、怕尼芝、珉、攀安知のいずれの子息であってもおかしくなく、むしろ、怕尼芝の三男とするには無理があるかもしれない。

 結局、たしからしさを残しながら言えば、王舅は、遅くとも北山滅亡前の15世紀初頭に与論に訪れており、その人物は、中国使者の役割を果たしたことがある者で、「善佳古耶」あるいは「亜都結制」である可能性がある、ということくらいだ。

 林、麓、そして彼らから聞き取りを行った野口は、王舅が役職名である認識を持ちながら、その名を問うことはなかった。これは時代的な制約だろうか。また、王舅について花城と血縁関係にあるとしているが、これについては別で触れたい。

 

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コメント

王舅の父親は怕尼芝(1代目)の三男です。羽地按司が今帰仁城を奪い取った後、跡継ぎの男子が無く娘婿の兼次按司が、後を相続する。清国と朝貢貿易するにあたり、名を怕尼芝と記録されているが、羽地按司と怕尼芝は別人です。長男に伊江潘王子がいて、怕尼芝(2代目)を襲名するが、記録は同一人物と理解されている。次男が真松千代で、三男が世論島世の主の王舅になる。王舅の名は、記述とうり役職名で、中山の使者も役職のように名前の前に使っている。又吉大主と真松千代配下の又吉里主と関係があるように見られる。2頭の競馬を真松千代に取られたと言って裏切り、中山王に取り入って、宝剣の所在を明かした。後に「北谷菜切り」名を付け、北山王の氏名で献上した事に記録されたいるが、実は中山の女密偵が永良部島の城に潜り込み、持ち出していた。 攀安知は伊江潘王子の子息、妾に産ませた双子の兄で、珉王が亡くなり子息の千代松を追い出して王の地位を奪い取った。中山王の尚巴志のように、「尚」の氏名が有力者は持っているが、三山時代は統治地や役職名を名前の前に使っていたので、古文書を見ると解りずらいですね。ヤマトでも、甲斐守や主計守など受領名で呼ばれていたが、現代は古文書を解して文献にしているので、理解しやすい。
 解釈は、色々あるので更に研究が必要ですね。

投稿: 永隈優二 | 2018/06/17 22:26

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