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2013/11/18

タンディの元

 与論で、タンディは、謝罪の「ごめんなさい」の意味になる。けれどそれだけではなく、与論茶花では、別れの「さようなら」の意味になる。まだあって、依頼を強調する時に、「タンディドーカ」と「タンディ」を添えることもあり、「どうぞ」のような意味になる。

 しかも、タンディは、宮古島では、感謝の「ありがとう」の意味になり、タンディガタンディと強調される。タンディは広がりのある言葉だ。

 別れの意味の「タンディ」は、与論では茶花のみで、ふつうには「ナーヤー」が使われる。茶花は新しい集落であってみれば、タンディ自体が、16世紀以降の首里近傍から訪れたグスクマ・サークラの集団によって、言葉自体か使われ方が持ち込まれたか、茶花と他島との交流によって生まれた言葉だという可能性を持つ。いずれにしても、別れの意味として使うのは新しいだろう。

 多様な意味の広がりを持つのは、「おもろそうし」での言葉の使い方に似ている。たとえば、「京」、「今日」の漢字を当てられる「けお」などは、「素晴らしい」の意味になり、「意地気」も「立派な」の意味になり、「搔い撫で」も、「撫で慈しむ」の意味になっていた。「かなし」には「加那志」の字が当てられるが、「愛し」あるいは「哀し」を元にした同様の用例だと考えることができる。

 仮説的に書けば、十数世紀に大和あるいは朝鮮経由の集団が大量に琉球弧に流入し、琉球弧に統一性をもたらす契機になる。その際、大和言葉も持ち込まれるが、琉球弧は、言葉を単純に摂取したのではなく、その使い方において、肯定的な意味を持つ言葉を、その本来の意味を離れてでも、形容的な美称、敬称、尊称として使ったのだ。

 タンディの多様な意味の広がりを踏まえると、これを琉球語の語法のなかに位置づけるのは無理のないことだと思える。

 タンディの元になった言葉は何だろう。タンディは、「ごめんなさい」、「さようなら」、「ありがとう」の意味を離れて、続く言葉を補う「どうぞ」、「なにとぞ」の副詞的な意味まで持つ、その広がりのなかから、元の言葉を辿ろうとすると、「頼」の言葉が浮かんでくる。

 「おもろそうし」では、「大和 頼(たよ)り 成(な)ちへ」(96)と、時折、使われる言葉で、この場合は、「大和を縁者にして」と、やはり意味は拡張されている。

 「頼」が、「たる」に当てられている場合も一例だけ、ある。

あんのつのけたちてだやればが節
一 吾(あん)のつのけたち
  吾(あん)のおやけたち
  越来(ごゑく)のてだ
  頼(たる)です 来ちやれ
又 今日(けお)の良(よ)かる日(ひ)に
  今日(けお)のきやかる日(ひ)に
又 たう(/\)は 走(は)ちへ
  坂々(ひらひら)は 這(は)うて

(83、巻ニ)

 「頼(たる)です」、「頼みにして」と訳注は解説している。「る」に注目するのは、与論にも、タルディの言葉はあって、タルディからタンディとなったと解したくなるからだ。

 元の語を、「頼」に置くと、相手を頼みに思うことが、感謝や謝罪、そして別れや依頼の強調に使われる琉球語の語法に適っているように思えてくる。

 

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コメント

 「タンディ」が、『おもろさうし』に見える「頼(たよ)り」であるとする説?にはハッとさせられます。

 よく言われるように、宮古は色んな意味で沖縄をパスして奄美群島との共通性があるようで、その代表は「宮古オトウリ/与論ケンポウ」「ワイドー!」ですね。
 又、徳之島の円陣を組む舞踊は、ほとんど宮古のクイチャー踊りソックリですし、ロックバンド「ザ コブラツイスターズ(リーダーの川畑さんは与論出身)」の楽曲で発する「♪ ニ(イ)ノヨイサッサ!」に至っては、もうほとんど宮古スピリッツですね。

 1000年ほど前の「グスク時代」の始まりには、徳之島の「カムイヤキ土器」が与那国島まで到達しますから、たぶん沖縄諸島も同じ状況だったでしょうけど、首里那覇を中心に周圏論的に変化したのでしょう。
 その南下して来た勢力の一部に、藤原純友が率いていた「伊予水軍」の残党も含まれていたのではと推測しますね。

投稿: 琉球松 | 2013/11/18 11:52

琉球松さん

川畑アキラ、よくご存知ですね。驚きました。とーとぅがなし。

島の言葉を思い出すと、タルディと言っているのが、近い気がするのです。

「伊予水軍」、ときどき目にする言葉です。大量というだけでなく、多集団だったのでしょうね。その頃の大和の流行りというか。

投稿: 喜山 | 2013/11/19 08:30

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