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2013/11/15

昔、沖縄の人が酒徳利を売っていた

  島の南の浜辺を菊千代の『与論方言辞典』で辿ると、エピソードが添えてあって面白い。特に、沖縄の人の酒売りが。

 沖縄の人は、もうひと稼ぎを狙ったものか、生活に窮して与論まで来たのか、また島のなかではこっそりやっていたのか、堂々と売っていたのか、分からない。でも、言われてみれば自然な交流だけれど、言われなければ想像にいたらない、貴重な証言だ。島々は思っている以上につながっていたのだと思う。

 ハジラバマは、カズラから来ていたんですね。

タティダラ

大字麦屋の内の、小字アマミズと小字真正との境に位置する通称地名。海岸の岩根から湧水が出る。この地の海岸はイョー(岩穴)があって、昔は沖縄の人が泡盛入りの徳利を持ってきて、隠れて売っていたといわれる。(p.289)

トゥーシ

大字麦屋の小字種窪の海岸の通称地名。またはその一帯の名。語源はトゥールイシ≪筒抜けになった穴岩≫の意であろう。【補説】岬になっているパンタはトゥーシヌパンタと呼ばれ、昔、シニュグの神送りなどされた所だといわれている。また、この地の岩穴は昔、沖縄の人が国頭から酒徳利を舟で運び、ここで寝泊まりして売っていたと言われる。この地の東方の海のクチにはヤンバルグチと呼ばれるクチもある。(p.350)

ハジラバマ

カズラ浜。浜の名。島の東南部、大字麦屋の小字風花の沿岸にある。かつは浜一面グンバイヒルガオが生え広がっていた。ハジラはカズラの意。(p.425)

ワタンジ

渡り地。大字麦屋の小字風花の南海岸と、その近くの海の通称地名。ここは陸地からすぐ礁原になっていて外海とつながっている。昔この地の海岸の岩穴に沖縄の人が酒などを運んできて売っていたと言われる。(p.635)


 「与論の砂浜」 

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コメント

 「ヤンバルグチ」って、木材などを運ぶ比較的大型船の渡口なんでしょうかね。
 個人的な往来なら「ワタンジ」あたりが便利なのでしょう。

 ところで、酒を売るなら与論全域で行ってもよさそうなんですけど、赤崎周辺に限られていたとすれば神事に使う神酒でしょうか?
 「カズラ浜」は、ノロが頭部に飾る「蔓草」を連想しますね。

投稿: 琉球松 | 2013/11/15 11:28

琉球松さん

ヤンバルグチ、そうなのかもしれませんが、最初の島人が入ってきたのもこの近くのクチだと言われています。

ぼくが赤崎付近で調べたので、他の浜辺にも伝承がないか、調べてみるつもりです。でも、ここは地図の場所は島の最初の場所なので、多そうです。

カズラは、そうです。それかもしれません。

投稿: 喜山 | 2013/11/16 08:19

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