信仰集団としてのプカナ
プカナ・サークラを、アマミク(キヨ)あるいは、それに深く関与した集団と見なしている者にとって、気になる記述。
プカナ麦屋西区小字タバタ(田畑)にある俗称地名。プカナマグディが生まれた地。(中略)プカンナともいう。プカナのプカは拝むの意がある。(昔この地周辺から人骨が出た)。(p.490)(菊千代『与論方言辞典』
)
プカナはプカンナとも言う、とあるが、同様に、フカナともフカンナとも言う。「プカナのプカは拝むの意がある」というのは、この辞典にある「フガミュン」(拝む)を連想させる。強い信仰集団という仮説を補強してくれるものだ。
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コメント
プカンナさーくらの座元の竹さんに聞いたはなしは興味深い。
プカナマグディや首里那覇ちちゃしが
ういだとぅマナビや うしくまたのとぅじどぅなたる
プカナさーくら付近が 按司の世時代の居住地だったろうことが想像される。
田畑(畠)屋敷の広大さ、趣向など 調査する価値がある。 それと
正サークラ・キンサークラ付近の屋敷跡地からは多分重要な遺物がみつかるだろう。
郷土研究は ここから始めるべきだ。 城跡などよりはもっともっと重要案件。
もっともっと 書いてください。
応援してます。
投稿: 泡 盛窪 | 2013/11/29 08:29
盛窪さん
とーとぅがなし。「うしく」というのは、与論と辺戸の海のことですか?
麦屋、朝戸付近のことをもっと知りたいです。昔話、遺跡。ここが民俗の宝庫ですね。
投稿: 喜山 | 2013/11/29 09:10
「うしく・うすく」は、沖縄島ではガジュマルに似た樹木の名で、「うしくまた」と聞くと、Y字路(又)近くにその木が印象的に立っているような感じがします。
投稿: 琉球松 | 2013/11/29 10:46
補足
「うしく・うすく」は、和名「アコー」の事で、琉歌にも『(首里の)赤田門の オスク 枝持ちの きよらさ グスクめやらべの 身持きよらさ』とありますね。
投稿: 琉球松 | 2013/11/29 11:02
琉球松さん
アドバイスありがとうございます。
ウイダトマナビは、美人で琉球王に所望され、会い、宝物を持って与論に帰る途中、水難に会って死んだという伝承があります。それで海上の別称を想像したのでした。
でも、これ、首里に着いたというプカナマグディの間違いかもしれません。そうすると、琉球松さんの解説の通りだと思います。
投稿: 喜山 | 2013/11/29 11:26