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2013/10/18

与論、かゑふた、根の島

 「おもろそうし」の928から933までの六点は、連続したおもろ群だ。

一 かゑふたの親(おや)のろ
  とかろあすび 崇(たか)べて
  うらこしちへ
  袖(そで) 垂(た)れて 走(は)りやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ
又 のろくは 崇(たか)べて
又 神々(かみく)は 崇(たか)べて
又 北風(にし) 乞(こ)わば 北風(にし) なれ
又 南風(はえ) 乞(こ)わば 南風(はえ) なれ

(928、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


一 かゑふたの親(おや)のろ
  親御船(おやおうね)でよ 守(まぶ)りよわ
  舞合(まや)ゑて 見守(みまぶ)〔す〕 走(は)りやせ
又 根(ね)の島(しま)ののろく
又 のろくす 知(し)りよわめ
又 神々(かみく)す 知(し)りよわめ 

(929、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


しよりゑとの節
一 かゑふたの親(おや)のろ
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
  按司襲(あじおそ)いに
  金 積(つ)で みおやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ

(930、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


はつにしやが節
一 与論(よろん)こいしのが
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
  島(しま) かねて
  按司襲(あじおそ)いに みおやせ
又 離(はな)れこいしのが

(931、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


はつにしやが節
一 与論(よろん)こいしのが
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て

  玉金
  按司襲(あじおそ)いに みおやせ
又 根国(ねくに)こいしのが

(932、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


はつにしやが節
一 かゑふたの親(おや)のろ
  たからあすび 崇(たか)べて
  吾(あん) 守(まぶ)て
  此渡(と) 渡(わた)しよわれ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ

(933、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)

 これらのおもろは、「与論」と徳之島の「真徳浦」がセットで書かれているから、「真徳浦」とセットで書かれる「かゑふた」とは「与論」のことであり、「かゑふた」が「根の島」と呼ばれるからには、「与論」が「根の島」とも呼ばれていたことになる、という謎ときを仕掛けているような一連の歌謡群だ。

 931と932の「与論こいしの」とは神女名だが、「こいしの」は、「古里(ふるさと)のみぢよい思(も)い」とは異なり、「久米のこいしの」がいるように、普通名詞的な意味を持たされていると思える。また、「与論こいしの」、「久米のこいしの」と島の名に続けられるということは、神女のなかの位階の高さ、存在の大きさ、あるいは抽象性をうかがわせる。

 「こいしの」と似たおもろ語には、「あけしの」があるが、これは、吉成直樹によれば「明け方の太陽」という意味で、「しの」が太陽に当る(p.143『琉球王国と倭寇―おもろの語る歴史』2006年)。「あけしの」が「明け方の太陽」といういみなら、「こいしの」は何の太陽ということだろう。「いりしの」なら夕刻の太陽と連想しやすいが、神女名に、沈むイメージを付するのは相応しくない。とすると、「あけしの」と「こいしの」は、対をなした言葉ではないのかもしれない。

 他に手がかりになるのは、「久米のこいしの」が「航海守護の神女として名高」(p.143)と言われていて、その異称も「百浦こいしの」(たとえば、1444)であることだ。百浦とは、たくさんの海を意味するのだろう。

 「こいしの」は、「かいふた」が「かゑふた」となることもあるように、「こゑしの」(たとえば、1454)とも表記されている。すると、「こい(ゑ)」とは「声」のことだろうか。おもろ語では、「声」の意味で「こゑ」は使われており(たとえば、「珍ら声」858)、鼓の美称は「声加那志」(827)だ。

 「こい」に「声」を当ててみると、「声の太陽」になる。「声の太陽」という比喩を使ったとは考えにくいから、おもろ語でよく使われる逆語序の考え方をしてみると、「太陽の声」になる。この比喩も捉えにくいが、聴覚優位のおもろ歌謡であればありえなくはないかもしれない。また、「久米のこいしの」が航海守護の神女として名高いのであれば、「こいしの」は、日の声をよく聞く、天体の動きをよく知る神女という意味が成り立つ。確信のある仮説にはならないが、記しておこう。


 「与論こいしの」も航海の場面で登場している。しかし、歌謡の内容はいささか武ばっている。

[訳注](『おもろさうし〈下〉』

与論こいしの神女、離れ島のこいしの神女が、お祈りをします。真徳浦に船で通って、島を囲い支配して、国王様に奉れ。

 外間守善の訳は、「国王様」になっているが、「按司襲(あじおそ)い」の意味では必ずしもそれに止まらず、与論の支配者の意味に採ってもおかしくない。むしろその方が意味の通りはよくなる。ただ、ぼくたちの先入見では、与論島が徳之島から徴税をする立場になるはずがないという弱小感を持っていることだ。

 仮にそうだとして、島の支配者とは誰を指すのだろう。このおもろは、第二尚氏以降であれば、徳之島には直接の統治が行われただろうから、「古里(ふるさと)のみぢよい思(も)い」(541)より以前の、時代のことではないかと想定する。そうだとして、ぼくたちが聞いたことがあるなかでいえば、与論城を築城したとされる、北山の、伝承の王舅(おうしゃん)しか思いつかない。そうだとしたら、このおもろ群は、15世紀に謡われたものになるが、果たしてそうなのか。

 吉成直樹は、『琉球王国誕生』(2006年)のなかで、933のおもろに触れて次のように書いている。

 トカラ列島の人々が航海に巧みだったことを考えれば「トカラ」の名を持つ神が航海守護を行うことは容易に理解できる。この事実は、トカラ列島から奄美諸島を経由せずに沖縄諸島に渡島したと考えられる集団は、与論島あるいは沖永良部島の奄美諸島南部の島々を足がかりにしたということを想定させる。それはすでに述べたように、沖縄島北端の辺戸部落に「島渡りのウムイ」があり、この神歌を謡う辺戸部落の古老たちは、祖先神たちが、沖永良部島、与論島を経て辺戸にとりつき、辺戸から沖縄の島の歴史が拓かれていったと固く信じているという指摘を踏まえてのことである。(p.275)

 ここで言う、「トカラ列島から奄美諸島を経由せずに沖縄諸島に渡島したと考えられる集団」とは、琉球王国の成立に関わったと吉成が想定している倭寇のことだ。928から933までの連番おもろは、同じ時期の与論のことを謡ったと思えるのだが、そうだとしたら、島の支配者とは、15世紀の王舅より以前、13~14世紀の時期も考えられることになる。

 ぼくたちは倭寇と言われると、そのような伝承も島で聞いたことがないのでいぶかしくなる。しかし、沖永良部島には確かに倭寇の痕跡があり、実際に、「倭寇であった「グラル孫八」の子孫であると伝承される家」があり、その姓は「平」と「朝戸」であるという(p.57)。それなら、姓はないが、与論の里(サトゥ)にある朝戸集落がある。朝戸(足戸)は、与論での倭寇の痕跡を示すものだろうか。与論にも一時的にせよ滞在した倭寇勢力があり、それが、おもろに謡われているのだろうか。ここは何か、伝承の手がかりがほしいところだ。


 ところで、六点のおもろは、連続していることもさることながら、与論島がそこで「根の島」と称されていることに驚く。これは、与論人(ゆんぬんちゅ)として心底、驚くと言っていい。「根」といえば、ことの始め、元を意味する、琉球弧では重要な言葉だ。その名がわが島に冠されることに戸惑いを覚える。しかも、おもろで「根の島」と称されるのは、他に赤木名、宜野湾があるが、どちらもニ点であるのに対し、与論は何と四点なのだ。驚かざるを得ないというものだ。

 与論、赤木名、宜野湾に何か共通性があるのか。島の内側の視点からはそれはなかなか見出すことはできない。外間守善の解説によれば、これらは「地方おもろ」と呼ばれる。

土地を讃美し、各地の豪族である按司を讃美したもの、地方の神女を謡ったものがその類型であり、大部分はオモロ時代初期および中期の古いもので、いわば農村のオモロである。首里王府の息のかからない、沖縄古代の世界観、宗教観を知るのに、地方オモロは欠かせないものである。(『おもろさうし〈下〉』 p.452)

 外間の言うとおりだとすれば、三つの地名に関連性はなく、それぞれが第二尚氏による王朝以前に群雄割拠した按司、神女のいた地と受け止めてよさそうだ。

 そうは言っても、赤木名は大規模なグスクが発掘されて、「根の島」として讃美されるのも理解しやすい。しかし、それに比肩される与論島の意味とは何だろう。島の支配者と解する限り、既知の範囲では15世紀の王舅しか、やはり思い当たらない。

 島の支配者の存在以外にも意味があるのだとしたら、アマミキヨ集団がその神話を残した島であること、また、「祖先神たちが、沖永良部島、与論島を経て辺戸にとりつき、辺戸から沖縄の島の歴史が拓かれていった」という辺戸の古老たちの言葉のなかに、「根の島」の意味も宿っていると考える他ない。

 根の島としての与論は、ぼくたち与論人(ゆんぬんちゅ)自身の、島に対する歴史感覚を強く揺さぶる。


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