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2013/10/12

「かいふた」とは立派な集落という意味

 「おもろそうし」で、「かいふた(かゑふた)」以外に、「ふた」(部落、集落)の名称が出てくるのは、次の5点だ。

あおりやへ節
一 聞(きこ)ゑ差笠(さすかさ)が
  鳴響(とよ)む大君(きみ)や
  百島(もゝしま) 揃(そろ)へ遣(や)り みおやせ
又 鳴響(とよ)む差笠(さすかさ)が
又 首里杜(しよりもり) 祈(いの)らに
又 真玉杜(まだまもり) 祈(いの)らに
又 聞(きこ)へ按司襲(あじおそい)や
又 鳴響(とよむ)む按司襲(あじおそい)や
又 気勝(けおまさ)り按司襲(あじおそい)や
(又)ふた勝(まさ)り按司襲(あじおそい)

(176、第四 あおりやへさすかさのおもろ御そうし、天啓三年)


かいふたの大ころが節
一 平良(たいら)こしらへや
  降(お)れ直(なお)せ 神々(かみく)
又 杜(もり)のこしらいや
又 今日(けお)の良(よ)かる日(ひ)に
又 今日(けお)のきやかる日(ひ)に
又 我謝杜(がぢやもり)に 降(お)れわちへ
又 百人(もゝ)そ 引(ひ)ちへ 降(お)れわちへ
又 七十人(なゝそ) 引(ひ)ちへ 降(お)れわちへ
又 あまみやふた 降(お)れわちへ
又 しねりやふた 降(お)れわちへ
又 首里杜(しよりもり) 降(お)れわちへ
又 真玉杜(まだまもり) 降(お)れわちへ

(540、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


一 新城(あらぐすく) ゑけ まきよに
  新城 ゑけ ふたに
又 けとのよら ゑけ まきよに
  やわれよら ゑけ ふたに
又 君(きみ)が あつ ゑけ 物に
  主(ぬし)が あつ ゑけ 物に
又 君(きみ)に 使(つか) ゑけ われて
  主(ぬし)に 使(つか) ゑけ われて

(704、第十ニ いろくのあすびおもろ御さうし、天啓三年)


かつれんはいきやあるかつれんが節
一 安須杜(あすもり)の
  切(き)り口(くち)の
  君(きみ)の歓(あま)へ
  清(きよ)ら手折(てお)り富(とみ)
又 何(づ)れのふた
  何(づ)れのまきよ 降(お)れ欲(ほ)しや
又 意地気(いじけ)まきよ
  意地気(いじけ)ふた 降(お)れ欲(ほ)しや

(818、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


あらかきのもりの節
一 あまみやみるや仁屋(にや)
  まきよ 選(ゑら)です 降(お)れたれ
  百末(もゝすへ) 手摩(てづ)られ
又 しねりやみるや仁屋(にや)
  ふた 選(えら)です
又 新垣(あらかき)の庭(みや)に
  まきよ 選(えら)です
又 大祖父(おきおふぢ)が庭(みや)に

(1394、第二十一 くめのニ間切おもろ御さうし、天啓三年)


 「ふた」に関わる地名は、我謝杜、首里杜・真玉杜(首里城内)、新城(粟国か渡名喜、所在未詳)、安須杜、新垣(久米島)の6か所。このうち神女が降臨するとされるのは、我謝杜、首里杜・真玉杜(首里城内)で、あまみやみるや、しねりやみるやの神が降臨するとされるのが久米島の新垣だ。いずれも聖性の高い場所に当てる言葉として「ふた」が選ばれている。

 また、「ふた」の前に言葉を置いているのは、「かいふた(かゑふた)」を除くと、「新城ふた(やわれよらふた)」、「意地気(いじけ)ふた」と「あまみやふた」、「しねりやふた」しかない。しかも、「あまみやふた」、「しねりやふた」は、神の住まう処という意味で使われているだろうから、具体的な地名を指す可能性があるのは、「かいふた(かゑふた)」と「新城ふた(やわれよらふた)」、「意地気(いじけ)ふた」に絞られる。

 聖性を帯び、また具体的な地名として使われることの少ない「ふた」を含んだ「かいふた(かゑふた)」は、本当に与論島を指すだろうか。この語の希少性と重要性を踏まえると、いぶかしくなる。

 しかし、「かいふた(かゑふた)」は、554868を見れば、船の航路として「せりよさ」(沖永良部島)と安須杜の間に位置しているのだから、「かいふた(かゑふた)」は与論島だと見なすことができる。また、徳之島の「真徳浦」との関わりを歌った、ほぼ内容を同じくする、930、931、932の歌が、930では「かゑふた」、931932では「与論」として記されていることからも、「かいふた(かゑふた)」を与論島と考えて間違いないだろう。

 もうひとつ、気づくことがある。「かいふた(かゑふた)」は与論島を指す固有名詞でもあれば、「かい(ゑ)」の言葉で形容される「ふた」という普通名詞的な使われ方もしているのではないかということだ。それは、540551の2首は、「かいふたの大ころが節」とタイトルに「かいふた」とあるが、歌謡の中身には「かいふた(かゑふた)」が登場しない。540については、我謝杜、首里杜・真玉杜(首里城内)、あまみやふた、しねりやふたを歌うのだから、ここに与論島が入りこむ余地はないと思える。少なくとも、540と551の2首については、「かいふた」は、固有名詞ではなく、普通名詞的に使われていると考えられるのだ。

 ぼくの知る与論言葉のなかに、「かい(ゑ)」のつく地名は思い当たらず、念のために菊千代の『与論方言集』の「地名」に当っても、「かい(ゑ)」の付く、かつ妥当性の高い地名は見当たらない。この点からも、「かい(ゑ)」は与論の地名に基づかず、普通名詞的に使われることはありうると思える。

 さらに言えば、この地名には、「かいふた」と「かゑふた」の二種類の表記がある。ここで、928から933まで連番であることからも与論のことを素材にしていると思われる6首のうち、「かいふた(かゑふた)」が登場する4首が、「かゑふた」と記され、タイトルのみに使われるのは「かいふた」であることから、固有名詞の場合は「かゑふた」で、普通名詞の場合は「かいふた」という書き分けをしたのではないか。あるいは、そもそも「かいふた」と「かゑふた」は全く別の意味を持つのではないかという疑念が過る。しかし船の航路を歌った、ほぼ同じ内容の2首が、554では「かいふた」、868では「かゑふた」と、与論島を表記していることから、両者は全く別の意味なのではなく、どちらも与論島を指す場合があることを示している。ただ、地名以外の要素でも与論を指すことを示す補強材料のある歌謡が「かゑふた」で記されていることを踏まえると、「かいふた」と呼ばれているものの中には、与論島のことではなく、普通名詞的に使われているものがあるかもしれない。タイトルのみに使われている540と551の2点はもちろんのこととして、5551009の2点についてもその可能性がある。

 聖性を帯び、また具体的な地名として使われることの少ない「ふた」を含み、固有名詞としても普通名詞としても使われる「かいふた(かゑふた)」の意味とは何だろう。「かい(ゑ)」とは何を指すのか。

 このことを考えてみるのに、「おもろそうし」で頻繁に出てくる接頭語について触れたい。たとえば、「意地気ふた」(818)の「意地気」がそうで、これは「立派な」という意味に解されている。

 その他、任意に抽出してみる。

 気(けお)の君南風(きみはい)や [訳注]すばらしい君南風よ(564)
 綾金(あやぎゃね) [訳注]美しい金(鉄)(563)
 踊り(あやより) [訳注]美しい踊り(153)
 京(けよ)の御内(みうち) [訳注]すばらしい王城(345)

 これらを接頭辞として捉えた吉本隆明は、その特徴をこう書いている。

(1) その言葉の本来の意味で使われていないこと。したがってその言葉がなくても意味に変わりはないこと。
(2) その直後にくる名詞、代名詞、人称名詞を形容する言葉であること。
(3) 癒に類似した機能を持つこと。
(4) 『おもろ』のばあいについていえば、美称、尊称、祝称などのを意味を持つこと。(『母型論』1995年)

 この特徴に注目するのは、「かいふた(かゑふた)」が与論を指す固有名詞としてだけではなく、普通名詞としても機能していて、そうであれば、「かい(ゑ)」は「ふた」を形容する言葉になりうるが、それを探究するのに、「おもろそうし」には、そうした例が数多くあり、そのなかに手がかりを見出すことができるのではないかと思えるからだ。

 すると、気になるのは、「掻(か)い撫(な)で」という接頭辞だ。「掻い撫で」が出現する「おもろ」は、44点にものぼる(13、34、37、38、39、88、91、93、94、96、99、108、109、115、131、149、203、205、208、211、294、297、334、344、348、360、362、363、364、366、367、383、508、720、727、733、734、792、916、1222、1252、1374、1377、1380)。

 その意味を、外間守善の解説を頼りに辿ってみる。

 掻い撫でわる貴(たゝ)み子(きよ) [訳注]守護し給う王(13)
 掻い撫でゝす 依(よ)り降(お)れて [訳注]守護し愛してこそ依り憑いて地上に降りて(34)
 吾(あ)が掻い撫で按司襲(あんじおそい) [訳注]撫でいつくしむ国王様(37)
 掻い撫で大ころ達(た) [訳注]撫でいつくしむ立派な男たち(88)
 掻い撫で真(ま)ころ達(た) [訳注]撫でいつくしむ立派な男たち(93)
 吾(あ)が掻い撫で王(わう)にせ [訳注]撫でいつくしむ国王様(109)
 降(お)れ直(な)ちへ 掻い撫で [訳注]降り直して、撫でいつくしみ守っています(115)
 掻い撫でゝす 降(お)れたれ [訳注]撫でいつくしんでこそ、降りたのだ(208)
 掻い撫で水(みづ) しめまし [訳注]国王様に差し上げる大切な水にしたい(348)
 掻い撫で君(きみ)やれば [訳注]王を守護し給う神女なれば(720)
 掻ゑ撫で 掻(か)い撫(な)で 送(おこ)らに [訳注]大事に大事に守り送ろうよ(916)
 遊(あす)ば数(かず) 掻い撫でら [訳注]神遊びをするたび、国王様を守護しよう(1374)
 
 用例としてはこれが全てだ。「掻い撫で」を「掻き撫でる」と標準語化すれば、「やさしくさする」という意味になり、平家物語に例を見出すことができる。

さてしもあるべき事ならねば泣く泣く御衣着せ参らせ御髪掻き撫でて出だし参らさせ給ふもただ夢とのみぞ思はれける(しかしそうしてばかりもいられないので、泣く泣く衣をお着せになり、髪を撫でて差し出されるのは、まるで夢のように思われた)[若宮御出家、巻四]

 外間は、「掻い撫で」の意味を、「やさしくさする」からさらに強めて、「撫でいつくしむ」という原義とし、そこから生じた敬称として解説しているが、「掻い撫で真ころ達」にしても、既に「撫でいつくしむ」という意味を離れ、「立派な」という美称、敬称的な意味だけを取りだしたほうが妥当にも思える。「掻い撫で君」、「掻い撫で水」にしても、抽象度が増し、言葉の意味を離れて「君」(神女)、「水」の美称、尊称として機能して、吉本の挙げる接頭辞の特徴を備えている。

 そこで、ぼくがここで立てたい仮説は、「掻い撫で」が、語の原義を離れて抽象度を増したところで、「掻い」と「撫で」は、それぞれでも、美称、敬称として機能したのではないかということだ。「掻い撫で」を接頭辞として付けた言葉が、「おもろそうし」の韻文の音数律をととのえようとして、「掻い」あるいは「撫で」を省略した形を生み出したと想定すれば、「掻い撫でふた」となる語句が、「撫で」を省略して、「かいふた(かゑふた)」になりうる。

 下の例でいえば、「撫でゝおちやる御隼」は、「撫で」の言葉の意味から育てる慈しむ意味の範囲でも解釈できるが、「撫でころ」、「撫で松」、「撫でしの」は、美称、尊称として機能している面の方が強い。

 撫でゝおちやる御隼(みやふさ) [訳注]撫で育てていた御隼(106)
 撫でころが 使(つか)いす [訳注]立派な国王の使者としてこそ行くのです(776)
 撫で松(まつ)は げらへて [訳注]可愛がって育てた松を切りそろえて(901)
 国(くに)の撫でしのが  [訳注]国の撫でしの神女が(933)

 これに対して、「掻い」の方は、元の語義に添って、次に来る言葉を強調する役割で使われている歌謡に出会う。「おもろ」のなかでは珍しく詩情を感じさせるので、全文を挙げよう。

一 百名(ひやくな) 浦白(うらしろ) 吹(ふ)けば
  うらくと 若君(わかきみ) 使(つか)い
又 我(わ)が浦(うら)は 浦白(うらしろ) 吹(ふ)けば
又 手数(てかず)は 蒲葵(こば)の花(はな) 咲き清(きよ)ら
又 掻い遣(や)るは 波花(なみはな) 咲(さ)き清(きよ)ら

(1228、第十七 恩納より上のおもろ御さうし)

 船を漕ぐと、波が蒲葵の花が咲くように、波の花のように美しい。そういう意味だと思うが、「おもろ」のなかでは珍しく暗誦したくなる歌謡だ。ここで、「掻い遣る」は、波を押しやる意味になり、「掻い」は「遣る」の意味を強調するが、これは、「掻い撫で」から「撫で」が省略されたものとは見なされない。また、他にも、そうした例は「おもろそうし」の中で出会えないので、「かいふた(かゑふた)」をそう解するのは唯一の例として言うことになる。

 ただ、「かい(かゑ)なでふた」を元とするなら、なぜ「かい(かゑ)なで」の一部が省略されたのか、言えることがある。「おもろそうし」で「かい(かゑ)ふた」が初めて表記されたのは237だ。

うらおそいおやのろが節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
  げらゑ御袖加那志(みそでがなし)
  神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
  誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
  なです杜(もり)大王(ぬし)
又 かゑふたに 降(お)ろちへ
  厳子達(いつこた)に 取(と)らちへ

(237、第五 首里おもろの御そうし、天啓三年)

 おもろは歌謡であってみれば、音数律を整えることが重視される。「かゑふた」と対になるのは、「厳子達(いつこた)」(兵士たち)である。この、「いつこた」の四に揃えるために、「かい(かゑ)なでふた」の「なで」は省略され、「かい(かゑ)ふた」と歌われたということだ。

 「かいふた(かゑふた)」の「かい(ゑ)」は、「掻い撫で」から来ていると解すると、「かいふた(かゑふた)」の意味は、強く取れば、「守護する集落」あるいは「敬慕する集落」の意味になり、弱く取っても、「立派な、大切な集落」の意味になるが、どちらにしても、「ふた」(集落、部落)を、美称、尊称、祝称化したものだ。こうした意味が付されることは島人としては信じがたいが、吉成直樹が「琉球王国は与論島に始原世界と、武力の根源をみていたことは確実である(p.279)」『琉球王国誕生』)と書いたように、まだぼくたちが知らない歴史があるとしたら、可能性のないことではないと思える。しかも、この意味であれば、聖性を帯びた場所に用いられ、固有名詞としても普通名詞としても使われることと響き合うのだ。

 また、「掻ゑ撫で 掻い撫で 送らに」(916)とあるように、「掻い」は、「かゑ」と「かい」の両方が併記されてもいるから、「かいふた」と「かゑふた」の両方の表記があることに符号している。

 このように考えると、冒頭で挙げた、540の「かいふたの大ころが節」の「かいふた」は普通名詞であり、「立派な集落の優れた男(兵士)節」という意味になる。また、「意地気ふた」も、普通名詞的な使われ方で「立派な集落」を指していると思われる。


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