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2013/10/27

与論おもろ点数、『与論町誌』との異同

 『与論町誌』は、与論に関するおもろを12点としている。町誌が参照しているのは『古代中世奄美資料』(松田清編)だ。

 『古代中世奄美資料』に当ってみると、そこで挙げられているのは13点なのでカウント・ミスだと思う。ここで数えた、与論おもろは14点だった(「十四点の与論おもろ備忘」)。差分の1点は何か。それは、「うらおそい節」の反復分だ。


うらおそい節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
  げらへ御袖加那志(みそでがなし)
  神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
  誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
  なです杜(もり)大王(ぬし)

(1515、第二十二 みおやだいりおもろ御さうし、天啓三年)


 この最後の巻の「うらおそい節」は、巻五にも出てくるものだ。


うらおそいおやのろが節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
  げらゑ御袖加那志(みそでがなし)
  神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
  誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
  なです杜(もり)大王(ぬし)
又 かゑふたに 降(お)ろちへ
  厳子達(いつこた)に 取(と)らちへ

(237、第五 首里おもろの御そうし、天啓三年)


 ただし、巻二十二では「かゑふた」の対句部分が抜けており、それで『古代中世奄美資料』はカウントし損ねたのだと思う。

 そこで、現在の時点では、与論おもろは14点という結論になる。

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コメント

 『おもろさうし』は時系列的に並んでいるわけではないですから、もともとあった「うらおそい節」に与論の部分を急遽追加して「うらおそいおやのろが節」としたと推測できるかもしれません。

 この場合、誇らしい神の系統(血統)を与論に移動し、兵士達にも与えたと解釈できないでしょうか。
 仮にそうだとすると、薩摩の軍勢が笠利に上陸した緊迫した情勢の中での急ごしらえの歌か、第一尚氏時代の混沌とした時代のものなのかのどちらかのような気がしますね。
 と言うのも、『おもろさうし』成立以前の奄美沖縄の神歌群には「かゑふた・せりよさ」は見られず、与論は「よろ・よの・よん」などと呼ばれていたらしいわけなんですよ。

 御袖加那志神女の霊力で、神の力を与論に移動させたからには、琉球本島の安全は約束されたも同然と観念されたでしょうか。

投稿: 琉球松 | 2013/10/27 11:33

琉球松さん

いつもありがとうございます。
この理解だと、与論おもろは13点と解してもいいわけですね。その方が自然かもしれません。

ぼくも「かゑふた・せりよさ」は新しい言葉だと思います。

神歌群は、何を参照するとよいですか? 先日、『南島歌謡大成』は見たのですが、他にご存知のものがあれば教えてくださると嬉しいです。

投稿: 喜山 | 2013/10/27 11:50

 『南島歌謡大成』の奄美編、沖縄編上、沖縄編下、宮古編、八重山編以外だと名護市教育委員会が出版した『やんばるの祭りと神歌』、『のろ調査資料/ボーダーインク 1990 』がお勧めです。
 あと、沖縄島北部地域の市町村史にも重要な資料が隠れていると思いますね。

 沖永良部や徳之島の町史も覗いてみたいものですが、ロシアのニコライネフスキーが採録した宮古島の資料にも与論との関係が出ているかもしれません。

投稿: 琉球松 | 2013/10/27 15:44

琉球松さん

早速、ありがとうございます。『南島歌謡大成』は沖縄編上だけ見たのでした。他も当たりましょう。

ロシアのニコライネフスキー、これも気になります。

投稿: 喜山 | 2013/10/28 05:54

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