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2013/10/01

与論のヤブは金比屋武から?

 神事を司るノロと民間の巫女であるユタ。与論では、ノロはノロ(ヌル)と呼ばれるが、ユタはヤブと呼ばれる。琉球弧広しといえども、ヤブと呼ぶのは与論だけじゃないだろうか。

 なぜ、ヤブと呼ぶのか。これも分からずにきたことのひとつだ。野口才蔵先生に、「藪のなかにいるからか」と頓珍漢な質問をして苦笑されたこともある。なぜ、与論だけヤブと呼ぶのだろう。

 その関心から見ると、アマミキヨの足跡は意味を帯びてこないだろうか。

先ズ一番ニ、国頭ニ辺土ノ安須森、次ニ今鬼神ノカナヒヤブ、次ニ知念森、斎場嶽、 藪薩ノ浦原、次ニ玉城アマツヅ、次ニ久高コバウ森、次ニ首里森、真玉森、次ニ嶋々国々ノ嶽々森ヲバ、作リテケリ(「琉球開闢之事」『中山世鑑』)

 二番目の「今鬼神ノカナヒヤブ」である。カナヒヤブは御嶽であり、今も今帰仁グスクにある(「御嶽信仰は自然崇拝 ―今帰仁グスクのカナヒヤブ―」)。

 その「今鬼神ノカナヒヤブ」は、「おもろそうし」にも登場する。

一 東方の大主
  今帰仁(みやきせん) 金比屋武
  按司襲いす
  掛けて 栄(ふさ)よわれ
又 てだが穴の大主(『おもろそうし』巻一三-八ニ九)

 今帰仁のカナヒヤブ(金比屋武)を根拠にした按司を讃えたものだと思うが、今帰仁のカナヒヤブは「おもろ」に登場し、琉球王国の開闢神話のなかでも重要な御嶽だったということだ。

 今帰仁や北山との関係抜きには歴史を云々することはできない島の位置を思えば、与論は今帰仁のカナヒヤブ(金比屋武)の強い影響を受けた時期があったということではないだろうか。与論が北山の版図にあったとされる時期に、今帰仁のカナヒヤブからも神女は派遣され、島にやってきた。その由来の地を指したヤブという言葉が、与論の民間の巫女の呼称として、ユタに取って代わったのではないだろうか。与論でユタを指すヤブという言葉は、今帰仁のカナヒヤブ(金比屋武)と最も響き合うと思う。一視点として提示しておきたい。


 

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