与論おもろ
タイトルは、与論って面白い、という意味ではなく、与論にまつわる「おもろそうし」のことだ。と、いう枕詞が、「おもろそうし」解説の講座ではよく使われているだろう。ともかく、言われによれば、「おもろ」はウムイ(思い)が五母音化したもの。
ウムイ(思い)は、心のなかの思いを口にしたというだけではなく、「アミタボーリ(雨をください)」と口にすれば、それはそのまま自然をそう動かすことを意味していた、人間と自然の関係のなかでの言葉だということだ。
カウントしてみると、与論にかかわるおもろは、十六点ある。「与論町誌」では十二点と指摘されているが、それより多い。町誌が参照している『古代中世奄美資料』(松田清編)との異同を確かめたことはないが、自分で数えたものを挙げておく。資料としても参照できるように全文で。
十六点は、以下のように分類できる。
・武力・兵士に関わるもの。2首(237、1515)。
・立派な男性(大ころ)に関わるもの。3首(540、551、555)。
・「古里」地名に関わるもの。2首(541、957)。
・奄美から沖縄への船旅を歌ったもの。2首(554、868)。
・与論を「根の島」と歌うもの。3首(928、929、933)。
・徳之島との関わりを歌うもの。3首(930、931、932)。
・「東方」、「でだの穴」という表現が見られるもの。1首(1008)。
◆◇◆
うらおそいおやのろが節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
げらゑ御袖加那志(みそでがなし)
神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
なです杜(もり)大王(ぬし)
又 かゑふたに 降(お)ろちへ
厳子達(いつこた)に 取(と)らちへ
(237、第五 首里おもろの御そうし、天啓三年)
かいふたの大ころが節
一 平良(たいら)こしらへや
降(お)れ直(なお)せ 神々(かみく)
又 杜(もり)のこしらいや
又 今日(けお)の良(よ)かる日(ひ)に
又 今日(けお)のきやかる日(ひ)に
又 我謝杜(がぢやもり)に 降(お)れわちへ
又 百人(もゝ)そ 引(ひ)ちへ 降(お)れわちへ
又 七十人(なゝそ) 引(ひ)ちへ 降(お)れわちへ
又 あまみやふた 降(お)れわちへ
又 しねりやふた 降(お)れわちへ
又 首里杜(しよりもり) 降(お)れわちへ
又 真玉杜(まだまもり) 降(お)れわちへ
(540、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
一 大みつのみぢよい思(も)い
追手(おゑちへ) 乞(こ)うて 走(は)〔り〕やせ
又 古里(ふるさと)のみぢよい思(も)い
又 みぢよい思(も)いが 初旅(うゑたび)
又 みぢよい思(も)いが 新旅(あらたび)
又 御酒盛(よさけも)り所
又 御神酒盛(ゆみきも)り所
又 弟者部(おとぢやべ)は 誘(さそ)やり
又 乳弟者(ちおとや)は 誘(さそ)やり
(541、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
かいふたの大ころが節
一 外間(ほかま)大屋子(やこ)が
やゝと 押(お)せ やちよこ達(た)
又 意地気(いぢへき)大屋子(やこ)が
又 今日(けお)の良(よ)かる日(ひ)に
又 今日(けお)のきやかる日(ひ)に
又 朝凪れ(あさど)が し居(よ)れば
又 夕凪れ(ゆうど)が し居(よ)れば
又 板清(いたきよ)らは 押(お)し浮(う)けて
又 棚清(たなきよ)らは 押(お)し浮(う)けて
又 船子(ふなこ) 選(ゑら)で 乗(の)せて
又 手楫(てかぢ) 選(ゑら)で 乗(の)せて
又 東方(あがるい)に 歩(あゆ)みよわ
又 てだが穴(あな)に 歩(あゆ)みよわ
(551、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
うちいではさはしきよが節
一 聞(きこ)へ 押笠(おしかさ)
鳴響(とよ)む押笠(おしかさ)
やうら 押(お)ちへ 使(つか)い
又 喜界(ききや)の浮島(おきじま)
喜界(ききや)の盛(も)い島(しま)
又 浮島(おきじま)にから
辺留笠利(ひるかさり)かち
又 辺留笠利(ひるかさり)から
中瀬戸内(せとうち)かち
又 中瀬戸内(せとうち)から
金(かね)の島かち
又 金(かね)の島から
せりよさにかち
又 せりよさにから
かいふたにかち
又 かいふたにから
安須杜(あすもり)にかち
又 安須杜(あすもり)にから
赤丸(あかまる)にかち
又 赤丸(あかまる)にから
崎(さち)ぎや杜(もり)かち
又 崎(さち)ぎや杜(もり)から
金比屋武(かなひやぶ)にかち
又 金比屋武(かなひやぶ)から
崎枝(さきよだ)にかち
又 崎枝(さきよだ)かち
親泊(おやどまり)にかち
又 親泊(おやどまり)から
首里杜(しよりもり)にかち
(554、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
一 かいふたの大ころ
やふら 押(お)せ やちよく達(た)
又 金杜(かねもり)の大ころ
又 大ころが 新庭(まみや)に
(555、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
うちいではさはしきうが節
一 聞(きこ)へ 押笠(おしかさ)
鳴響(とよ)む押笠(おしかさ)
やうら 押(お)ちへ 使(つか)い
又 喜界(ききや)の浮島(おきじま)
喜界(ききや)の盛(も)い島(しま)
又 浮島(うきしま)にかゝら
辺留笠利(ひるかさり)きやち
又 辺留笠利(ひるかさり)から
中瀬戸内(せとうち)きやち
又 中瀬戸内(せとうち)から
金(かね)の島かち
又 金(かね)の島から
せりよさにかち
又 せりよさにから
かゑふたにかち
又 かゑふたにから
安須杜(あすもり)にかち
又 安須杜(あすもり)にから
金比屋武(かなひやぶ)にかち
又 金比屋武(かなひやぶ)にから
那覇泊り(なはどまり)かち
(868、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
一 かゑふたの親(おや)のろ
とかろあすび 崇(たか)べて
うらこしちへ
袖(そで) 垂(た)れて 走(は)りやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ
又 のろくは 崇(たか)べて
又 神々(かみく)は 崇(たか)べて
又 北風(にし) 乞(こ)わば 北風(にし) なれ
又 南風(はえ) 乞(こ)わば 南風(はえ) なれ
(928、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
一 かゑふたの親(おや)のろ
親御船(おやおうね)でよ 守(まぶ)りよわ
舞合(まや)ゑて 見守(みまぶ)〔す〕 走(は)りやせ
又 根(ね)の島(しま)ののろく
又 のろくす 知(し)りよわめ
又 神々(かみく)す 知(し)りよわめ
(929、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
しよりゑとの節
一 かゑふたの親(おや)のろ
真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
按司襲(あじおそ)いに
金 積(つ)で みおやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ
(930、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
はつにしやが節
一 与論(よろん)こいしのが
真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
島(しま) かねて
按司襲(あじおそ)いに みおやせ
又 離(はな)れこいしのが
(931、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
はつにしやが節
一 与論(よろん)こいしのが
真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
玉金
按司襲(あじおそ)いに みおやせ
又 根国(ねくに)こいしのが
(932、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
はつにしやが節
一 かゑふたの親(おや)のろ
たからあすび 崇(たか)べて
吾(あん) 守(まぶ)て
此渡(と) 渡(わた)しよわれ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ
(933、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
こばせりきよみやりぼしがや節
一 大みつのみて思(も)い
追手(おゑちへ) 乞(こ)うて 走(は)〔り〕やせ
又 古里(ふるさと)のみて思(も)い
又 みて思(も)いぎや 初旅(おひたび)
又 みて思(も)いが 新旅(あらたび)
又 御酒盛(よさけも)り所
又 御神酒盛(ゆみきも)り所
又 輩(ともがら)は 誘(さそ)て
又 乳弟者(ちおとぢや)は 誘(さそ)て
(957、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)
一 かいふたの親(おや)のろ
東方(あがるい)に 通(かよ)て
今(いみや)からど
いみ気(き)や 勝(まさ)る
又 金杜(かなもり)の親掟(おやおきて)
てだが穴(あな)に 通(かよ)て
(1009、第十四 いろくのゑさおもろ御さうし)
うらおそい節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
げらへ御袖加那志(みそでがなし)
神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
なです杜(もり)大王(ぬし)
(1515、第二十二 みおやだいりおもろ御さうし、天啓三年)
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