« 花城の周辺 | トップページ | 与論、かゑふた、根の島 »

2013/10/16

古里おもろ

 「古里」地名の出てくるおもろ二点。

一 大みつのみぢよい思(も)い
  追手(おゑちへ) 乞(こ)うて 走(は)〔り〕やせ
又 古里(ふるさと)のみぢよい思(も)い
又 みぢよい思(も)いが 初旅(うゑたび)
又 みぢよい思(も)いが 新旅(あらたび)
又 御酒盛(よさけも)り所
又 御神酒盛(ゆみきも)り所
又 弟者部(おとぢやべ)は 誘(さそ)やり
又 乳弟者(ちおとや)は 誘(さそ)やり

(541、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


こばせりきよみやりぼしがや節
一 大みつのみて思(も)い
  追手(おゑちへ) 乞(こ)うて 走(は)〔り〕やせ
又 古里(ふるさと)のみて思(も)い
又 みて思(も)いぎや 初旅(おひたび)
又 みて思(も)いが 新旅(あらたび)
又 御酒盛(よさけも)り所
又 御神酒盛(ゆみきも)り所
又 輩(ともがら)は 誘(さそ)て
又 乳弟者(ちおとぢや)は 誘(さそ)て

(957、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)

 「大みつ」は「古里」と対になっているから、古里の異称であると考えられる。「みぢよい思(も)い」、「みて思(も)い」はノロ名。

 語感からの連想だが、「大みつ」は、「大水」(うふみじ)のことではないだろうか。与論主には、「前代大水与人」など、「大水」の付く名がある。かつ、これは、薩摩支配以降、「東」と並び、与論の間切り名称にもなっている。人名でもあれば地名でもある「大水」が、「大みつ」を指していると捉えてもそう無理はないと思える。

 連想を続けると、「みぢよい思(も)い」を与論言葉読みすれば、「水祝い」もいと読める。これがノロ名であっても不思議ではない気がする。古文書に「茶花ノル」は出てくるので、古里にもノロがいたと想定するのも無理はない。

 ただ、間切り化された後の「大水」は、立長、茶花、那間(『与論町誌』)で古里は含まれないから、この連想での理解には障害があることになる。

 このニ点が収められたおもろの編纂が完了したのは1623年だから、それ以降のおもろではないにしても、花城真三郎以降の、16世紀に謡われたものだとは言えそうだ。歌謡は、「みぢよい思(も)い」、「みて思(も)い」の初の船旅を祝ったものか、「みぢよい思(も)い」、「みて思(も)い」が初めて船出を祝ったものか、今は分からない。ただ、常の武ばった大仰な歌いぶりからすると、この二点のおもろは、穏やかでほっとする。

 957の次の958は、沖永良部島のノロを歌ったものだ。

一 永良部(ゑらぶ)むすひ思(よも)へ
  くれるてや 成(な)ちやな
  今(いみや)こより
  珍(めず)ら声(ごゑ) 遣(や)らに
又 旅(たび) 立(た)つ 吾(あん)や
又 夏手(なつた)無(な)しやれば
  肌(はだ)からむ 触(さわ)らん
又 つしやの玉(たま)やれば
  頸(くび)からむ 触(さわ)らん

(958、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)

[訳注](『おもろさうし〈下〉』

永良部のむすひ思へ様は、別れかねてさびしい思いをしているのだろうか。今から目新しい消息をやろう。旅に立つ我は、夏衣だから、肌から触ろう。首にかける玉の粒だから、頸からも触ろう。

 これも、おもろのなかでは珍しい情緒的なものだ。聴覚優位の歌謡群にあって、「さわらん」と触覚が表現されているのも珍しい。おもろのなかで、「さわらん」という表現が出るのは、これ一点のみである。


 

|

« 花城の周辺 | トップページ | 与論、かゑふた、根の島 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 古里おもろ:

« 花城の周辺 | トップページ | 与論、かゑふた、根の島 »