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2013/10/21

十四点の与論おもろ備忘

 「与論」と「かい(ゑ)ふた」地名を含むものから該当する可能性のあるものを全部挙げると、与論おもろは16点だが(「与論おもろ」)、この中には与論に関わらない歌謡もあると思われ、それらを除くと、14点になるというのが今回の結果だった。『与論町誌』は12点としているから、町誌が参照している『古代中世奄美資料』(松田清編)との異同は、いずれ確かめたい。

 改めて、14点を類型化してメモしておく。


■1.うらおそい(始原・武力)

うらおそいおやのろが節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
  げらゑ御袖加那志(みそでがなし)
  神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
  誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
  なです杜(もり)大王(ぬし)
又 かゑふたに 降(お)ろちへ
  厳子達(いつこた)に 取(と)らちへ

(237、第五 首里おもろの御そうし、天啓三年)


うらおそい節
一 玉(たま)の御袖加那志(みそでがなし)
  げらへ御袖加那志(みそでがなし)
  神(かみ) 衆生(すぢや) 揃(そろ)て
  誇(ほこ)りよわちへ
又 奥武(おう)の嶽(たけ)大王(ぬし)
  なです杜(もり)大王(ぬし)

(1515、第二十二 みおやだいりおもろ御さうし、天啓三年)


 与論が初めて謡われたおもろは、驚くべき内容を含んでいる。「奥武の嶽大王」、「なです杜大王」は、一時的に与論にいた存在なのか、それとも在住の存在なのか。「玉の御袖加那志の与論」では、与論に留まった存在のあることを前提に考えてみた(「玉の御袖加那志の与論」)。

 このおもろは、「公事の神歌」であり、最後の巻である二十二「みやだいりおもろ」でも反復されている。


■2.古里

一 大みつのみぢよい思(も)い
  追手(おゑちへ) 乞(こ)うて 走(は)〔り〕やせ
又 古里(ふるさと)のみぢよい思(も)い
又 みぢよい思(も)いが 初旅(うゑたび)
又 みぢよい思(も)いが 新旅(あらたび)
又 御酒盛(よさけも)り所
又 御神酒盛(ゆみきも)り所
又 弟者部(おとぢやべ)は 誘(さそ)やり
又 乳弟者(ちおとや)は 誘(さそ)やり

(541、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


こばせりきよみやりぼしがや節
一 大みつのみて思(も)い
  追手(おゑちへ) 乞(こ)うて 走(は)〔り〕やせ
又 古里(ふるさと)のみて思(も)い
又 みて思(も)いぎや 初旅(おひたび)
又 みて思(も)いが 新旅(あらたび)
又 御酒盛(よさけも)り所
又 御神酒盛(ゆみきも)り所
又 輩(ともがら)は 誘(さそ)て
又 乳弟者(ちおとぢや)は 誘(さそ)て

(957、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


 「大みつ」は、与論の「大水(うふみじ)」のことではないかと考えた(「古里おもろ」)。薩摩直轄以降の間切りとは一致しないが、「みぢよい思い」という神女名とも響き合う。


■3.奄美、沖縄航路

うちいではさはしきよが節
一 聞(きこ)へ 押笠(おしかさ)
  鳴響(とよ)む押笠(おしかさ)
  やうら 押(お)ちへ 使(つか)い
又 喜界(ききや)の浮島(おきじま)
  喜界(ききや)の盛(も)い島(しま)
又 浮島(おきじま)にから
  辺留笠利(ひるかさり)かち
又 辺留笠利(ひるかさり)から
  中瀬戸内(せとうち)かち
又 中瀬戸内(せとうち)から
  金(かね)の島かち
又 金(かね)の島から
  せりよさにかち
又 せりよさにから
  かいふたにかち
又 かいふたにから
  安須杜(あすもり)にかち
又 安須杜(あすもり)にから
  赤丸(あかまる)にかち
又 赤丸(あかまる)にから
  崎(さち)ぎや杜(もり)かち
又 崎(さち)ぎや杜(もり)から
  金比屋武(かなひやぶ)にかち
又 金比屋武(かなひやぶ)から
  崎枝(さきよだ)にかち
又 崎枝(さきよだ)かち
  親泊(おやどまり)にかち
又 親泊(おやどまり)から
  首里杜(しよりもり)にかち

(554、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


うちいではさはしきうが節
一 聞(きこ)へ 押笠(おしかさ)
  鳴響(とよ)む押笠(おしかさ)
  やうら 押(お)ちへ 使(つか)い
又 喜界(ききや)の浮島(おきじま)
  喜界(ききや)の盛(も)い島(しま)
又 浮島(うきしま)にかゝら
  辺留笠利(ひるかさり)きやち
又 辺留笠利(ひるかさり)から
  中瀬戸内(せとうち)きやち
又 中瀬戸内(せとうち)から
  金(かね)の島かち
又 金(かね)の島から
  せりよさにかち
又 せりよさにから
  かゑふたにかち
又 かゑふたにから
  安須杜(あすもり)にかち
又 安須杜(あすもり)にから
  金比屋武(かなひやぶ)にかち
又 金比屋武(かなひやぶ)にから
  那覇泊り(なはどまり)かち

(868、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


 与論が「かい(ゑ)ふた」と呼ばれたことがはっきりする二点だ。「かい(ゑ)」は「ふた」に対する尊称、美称であり、「かい(ゑ)ふた」は、「かいなで」と同義に、立派な集落という意味に解した(「かいふた」とは立派な集落という意味」)。


■4.大ころと親のろ

一 かいふたの大ころ
  やふら 押(お)せ やちよく達(た)
又 金杜(かねもり)の大ころ
又 大ころが 新庭(まみや)に

(555、第十 ありきゑとのおもろ御さうし、天啓三年)

一 かいふたの親(おや)のろ
  東方(あがるい)に 通(かよ)て
  今(いみや)からど
  いみ気(き)や 勝(まさ)る
又 金杜(かなもり)の親掟(おやおきて)
  てだが穴(あな)に 通(かよ)て

(1009、第十四 いろくのゑさおもろ御さうし)


 「大ころ」、「親のろ」の言葉は、与論にも兵士と強力な神女存在のあったことをうかがわせる。


■5.連続六点(根の島・根国)

一 かゑふたの親(おや)のろ
  とかろあすび 崇(たか)べて
  うらこしちへ
  袖(そで) 垂(た)れて 走(は)りやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ
又 のろくは 崇(たか)べて
又 神々(かみく)は 崇(たか)べて
又 北風(にし) 乞(こ)わば 北風(にし) なれ
又 南風(はえ) 乞(こ)わば 南風(はえ) なれ

(928、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


一 かゑふたの親(おや)のろ
  親御船(おやおうね)でよ 守(まぶ)りよわ
  舞合(まや)ゑて 見守(みまぶ)〔す〕 走(は)りやせ
又 根(ね)の島(しま)ののろく
又 のろくす 知(し)りよわめ
又 神々(かみく)す 知(し)りよわめ 

(929、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


しよりゑとの節
一 かゑふたの親(おや)のろ
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
  按司襲(あじおそ)いに
  金 積(つ)で みおやせ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ

(930、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


はつにしやが節
一 与論(よろん)こいしのが
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て
  島(しま) かねて
  按司襲(あじおそ)いに みおやせ
又 離(はな)れこいしのが

(931、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


はつにしやが節
一 与論(よろん)こいしのが
  真徳浦(まとくうら)に 通(かよ)て

  玉金
  按司襲(あじおそ)いに みおやせ
又 根国(ねくに)こいしのが

(932、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)


はつにしやが節
一 かゑふたの親(おや)のろ
  たからあすび 崇(たか)べて
  吾(あん) 守(まぶ)て
  此渡(と) 渡(わた)しよわれ
又 根(ね)の島(しま)の親(おや)のろ

(933、第十三 船ゑとのおもろ御さうし、天啓三年)

 六点連続の与論おもろ群。与論は、「根の島」、「根国」としても呼ばれていた。与論には、航海守護の「こいしの」神女がおり、首里、大里とも接点が想定できるのではないかと考えた(「与論、かゑふた、根の島」「「根国」のなかの与論」)。

 また、副産物として、花城真三郎の由来が、「外間」、「又吉」地名の出てくるおもろによって確認できた(「花城真三郎の系譜」「花城の周辺」)。

 文献がないのはもちろんのこと、伝承すら乏しいなかで、この先どこまで視界を広く深くしていけるのか覚束ないが、諦めずにやっていきたい。


『おもろさうし(上)』

『おもろさうし〈下〉』

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