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2013/09/01

『沖縄・奄美の小さな島々』

 琉球弧の島々を渡り歩きたいというのは、絶えないが当てのない願望であり続けてきた。想う歳月が長くても、滞在と言えるほどの時間を費やしたのは、奄美大島、加計呂麻島、与論島、沖縄島、久高島、古宇利島、石垣島、西表島、与那国島と、わずか九島に過ぎない。沖縄好きを自称する旅人の方がよほど足を運んでいるだろう。

 それはひとえに生まれ島への執着が強く、できた時間は他には譲れないと思ってしまうからなのだが、『沖縄・奄美の小さな島々』を読み、琉球弧全島制覇の渇望がいささか和らぐのを覚えるようだった。沖縄の島々も底が浅くなってしまっているのを感じるからだ。以前、『海と島の思想』を読み、民俗的な深みを期待しただけにがっかりしたのだが(「『海と島の思想』を辿って」)、『沖縄・奄美の小さな島々』を辿ると、もうそういう風俗的な記述しかできなくなっているのかもしれないという内省がやってくる。当たり前といえばそうかもしれないが、もう柳田國男の『海南小記』のような、琉球弧の古層を呼び覚ますような旅行記を書くのは不可能なのかもしれない。

 『海と島の思想』では、沖縄島の離島が橋で架橋され、「離島苦」から解放されたのと引き換えに、過疎とゴミを引き受けているのを知ったが、『沖縄・奄美の小さな島々』でも、それは再三、指摘されている。この本は、橋だけではなく、沖縄の離島が映画やドラマに取り上げられることで、観光ブームを呼び起こすが、その宴の後の静けさも教えている。そして、ブレイクしなかったケースも。

 沖縄の島々にとって、映画やドラマのロケは命運を左右する。『ちゅらさん』の小浜島、『Dr.コトーの診療所』の与那国島に『瑠璃の島』の鳩島島、そして『ナビィの恋』の粟国島。特に小浜はドラマがきっかけで、観光客が押し寄せた。だが、この映画ロケで(映画『群青』-引用者注)、渡名喜島がブレイクすることはなかった。

 与論の目線からは、沖縄観光から取り残された印象ばかりがやってくるが、『沖縄・奄美の小さな島々』を読むと、そこには様々な濃淡があるのが分かる。そして、ブームになったとしても、一時的なものでしかないことも。それなら、与論は経験済みだ。

 著者は、沖縄に増えた古民家カフェに毒づく。

 橋が近くなると「それ」は現れた。瀬底でもさんざん見た、古民家カフェの案内板。本島北部「やんばる」地域で、ここ数年間に大増殖した、赤瓦の古民家で営むカフェ。玄関で靴を脱いで畳の部屋に上がると、ゆったり流れるBGMは東南アジアの音楽。丸いちゃぶ台の上に焼き物のカップ、野菜中心のワンプレートランチ。ご飯は白米ではなく、十穀米など混ぜものが多くて・・・。
 好きになれないんだな、どうしても。
 もちろん中には、沖縄の自然と伝統建築を愛し、誠実に営む店もある。だが今まで入った古民家カフェの大半で「赤瓦の家でカフェ開きゃ客が来るべー」という根性が垣間見えた。心温まる会話もなく、気取って出てくるランチの味はスカスカ。そこに「沖縄本来の雰囲気が味わえるー」と、旅人(主に女子)が集まる状況も好きではない。

 かといって、毒づきがこの本の本領ではなく、十年ぶりに近いご無沙汰で訪れる島の人々との交流は「心温まる」ものだし、津堅島で、ついに食事のことを言い出せなくて素泊まりで宿を出てしまうなど、思わず笑ってしまうエピソードも多い。そして次々に島を訪ねていくスピード感。それが、変貌著しい沖縄の島々の速度に見合っていて心地いい。

 「観光は進んでいない、小さな島を中心に歩こう」。著者の志はそうなのだが、意外にそういう場所は少なく、観光後の案外を目の当たりにすることも多い内容になっている。著者が望んでいることは何だろう。

 穏やかで優しい島だ。だがそうした目に見えない島の良さは、なかなか伝わりにくく、もどかしい。赤瓦の集落をきっかけに島を訪ねた旅人が、島の空気を感じて伝え、広めていけばいいのが--。

 著者は、映画『群青』でブレイクすることのなかった渡名喜島について、こう書く。でも要は、たとえばこの本を読んで、渡名喜島の「目に見えない島の良さ」に惹かれて、島を訪れる人がひとりでもいればいい。著者の望みはそういうことにあるのではないか。そしてそれがこの本の魅力になっているのだと思える。

 著者は「琉球」を知るには沖縄だけではなく、「奄美」も、と、加計呂麻島も訪ねている。

 2日滞在し雑感。まず「沖縄」の2文字にいい顔をしない人が多かった。歌遊びの場でも「奄美民謡は沖縄民謡みたいに単調じゃない」と言われる場面があり、その他随所で「沖縄の話はできないな」と感じた。奄美は薩摩支配をうける前は琉球の支配下にあり、薩摩ほどの圧政はなかったと聞くが、それでも沖縄に対して反骨心に似た感情があるのだろうか。

 と、短い時間で、「奄美」コンプレックスも敏感に感じ取っている。

 読み終わり、琉球弧全島制覇の願望はいくぶん鎮静化し、それならどこを巡りたいか、という問いがやってくる。琉球弧を居住地と見定めさせる条件になっただろう干瀬(イノー)の発達した場所、古層を呼び覚ます祭儀の時間。そういったところだろうか、とひとまず気持ちを落ち着かせることにしよう。

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