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2013/08/27

『反楽園観光論』

 まず、『反楽園観光論』という書名は、「楽園観光」に対する反論を意味していない。既存の観光論が旅行者の視線に傾きがちであること、また、観光産業へやすやすと寄与してしまうことへの批判的な姿勢から、『反楽園観光論』の「反」は、既存の観光論に抗する構えを持つことを指している。著者の、「(前略)産業としての観光については原則として「観光産業」と、または営利追求の意味をかならずしももたない場合は「観光事業」と、それぞれ表記する。(p.14)」という解説になぞらえれば、これは「観光事業論」とも言うべきものだ。

 「反」の持つ構えが見えてくると、次に「楽園」という言葉が目につく。著者によれば、「楽園」は、中世には「実在」の場所として扱われていたものが、科学の浸透により、非在化される。では近代以降は非在化が徹底されたかといえば、そうではない。

楽園を聖書の記述にもとづいて実在するものとみなすことはなくなったが、むしろそうした神学への準拠を必要としなくなったがゆえに、近代において楽園表象は、ロマンティシズムやオリエンタリズムの想像力の次元においておおいに飛翔することになるのである。(p.127)

 非在化はむしろ、「楽園表象」をロマンティシズムやオリエンタリズムで彩らせることになった。そしてその果てにどうなるのか。

楽園観光地はまずもって楽園イメージに即した要素の整備という類似性ないし複製性を本質的な基盤としており、他の楽園観光地との差別化はむしろ二義的なものだといってよい。楽園観光地は、温暖な気候、青い空、青い海、白い砂浜、美しいサンゴ礁、色鮮やかな花々、椰子の木と実、守り伝えられた伝統文化、素朴でやさしい島民など、楽園イメージをほうふつとさせるものとして造成されなくてはならない。(p.145)

 こうして、どこの楽園観光地も同じようなものとしてイメージされるようになる。しかし、それはオリジナルがあって模倣されるのではない。オリジナルを持たないコピーだけが浮遊する状態を生む。それゆえ、著者の吉田は、楽園観光地は差別化が難しいと言うのだ。

 言われてみれば、その通りだ。試みに与論に当てはめてみれば、「温暖な気候、青い空、青い海、白い砂浜、美しいサンゴ礁、色鮮やかな花々、椰子の木と実、守り伝えられた伝統文化、素朴でやさしい島民」は、そのどれもが、欠かすことなく与論の紹介フレーズで謳われているものに他ならない。おまけに、沖縄に比べれば「守り伝えられた伝統文化」もその色彩や奥行きに欠ける。むしろ、オリジナルなきコピーであるシミュラークルの表象を突き進んでいるようにすら見える。

 しかり、ある意味ではそうだ。与論は沖縄の復帰前に「日本の最南端」という位置からスタートし、次に「東京都与論町」となることで、地理上の行政区分をイメージの中で離脱しはじめる。80年代には「パナウル王国」を名乗り、国境を離脱する。このときすでに与論島は「よろんじま」ではなく、海外風に「よろんとう」と呼ばれ、おまけにカタカナで「ヨロン島」と自称することも忘れない念の入りようである。しかも、それに留まらない。映画『めがね』では、「この世のどこかにある南の海辺」として、「楽園」のイメージにむしろ投身しているのだ。

 しかし、現実の与論の観光はゆるかな衰退曲線のなかにある。この点、吉田はぼくたちが気づいていない指摘をしてくれている。

 琉球政府時代に沖縄の観光振興政策ははじまったが、沖縄よりも先に日本に復帰した奄美の中にあった与論は、この琉球政府の観光政策に組み込まれることなく、ほとんど単独で観光地化を果たしていくことになった。それが空前の与論ブームの到来により、いったんは右上がりの局面を迎えたが、沖縄の復帰以降は、沖縄が与論の株をまさに奪って、国内にある亜熱帯の楽園観光地としての地位を不動のものにしていった。こうして与論は、複合的な観光資源と観光サイトを抱える沖縄という観光圏の中に、イメージレベルでは帰属しているが、組織的には十分なつながりを打ち立てるにはいたらず、観光地として独自性をあらためて打ち出し顧客にアピールできないまま、低迷状態に陥った。端的にいえば、奄美の中の与論ではなく、沖縄の外の与論というこのポジショナリティこそ、与論観光を理解する上でもっとも重要なポイントである。(p.313)

 与論が沖縄より先に復帰し、琉球政府の沖縄観光振興政策に乗らなかったことが決定的に影響している。ぼくたちはここにも、あのいつもの境界のいたずらを見ることができるだろう。微笑みと無関心が目の前で入れ替わる。境界劇はいつも解離的だ。

 けれど与論は、「沖縄の外」というポジションを梃子に、純粋「楽園」像にポジショニングしようとすらしている。だから、吉田がこう指摘するのに、ぼくたちは頷くことができる。

映画の舞台は、美しいサンゴ礁の海と白い砂浜を持つ点で沖縄に似ているが、島の人々や風景は沖縄らしくなく、携帯電話の圏外で、観光施設がまったくないという島である。那覇から比較的近い、過剰な沖縄らしさを削ぎ落とした静かな観光地という性格づけは、与論にふさわしい可能性のひとつかもしれない。(p.302)

 与論が純粋「楽園」としてシミュラークルの浮遊度を増していると言うことは、「楽園」表象の点からは、差別化不能の地点にあることを意味するかもしれない。けれど、ぼくは差別化は可能だと思っている。それは与論には与論にしかないものがあるからで、そうでなければ、与論島クオリアと言ったりはしない。もちろん、それは「楽園」表象からのみでは見えてこない。「楽園観光」は、旅人の視線で成り立っているとすれば、与論島クオリアは旅人の視線と島人の視線が交錯する場所に生み出されるものだからだ。与論献奉? ちがう。あれは与論でしか味わえないものではない。現に宮古島のオトーリがある。

 ところで吉田の道中に付き合うと、ゆるやかな観光の成長を続ける久米島には、そういう視点が内包されているのかもしれない、と思う。

 久米島は、二〇世紀後半の大衆観光時代の到来ろろもに世界の各地で進行した楽園観光地の造成プログラムの中にいったん組み込まれながらも、いくつかの要因-第一次・第二次産業を基幹産業とみなしこれに固執する島民の姿勢、地元起業家による観光業の行き詰まりと観光協会の一時的解散、町村合併の不首尾、豊富な自然・文化・歴史の遺産と背景とした県立自然公園の指定、二村が協調してひとつの島の観光化をめざすでの試行錯誤、大手の外部企業のライバル関係とその同時撤退、など-が、バリや与論とおなじくここでも意図せざる偶然の結果として絡み合い、県や大企業による外側からの観光開発が速やかに進行せず、島の特色を生かした中長期的な微増の観光発展をという、ある意味で特異な道を歩むことになった。(p.348)

 他の産業と並列させ観光を突出させないこと、手づくりを活かした島づくりで急速な発展も破壊も生まないこと。これらの要素は与論も学ぶべきではないだろうか。


 この本は、「楽園観光産業」の在り方の実態記述に始まり、バリ、与論島、久米島と辿って、「楽園観光事業」の入り口まで案内してくれる。

『反楽園観光論 バリと沖縄の島嶼をめぐるメモワール』

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コメント

 これは面白いですね。

 与論はすでに "国境の島" ではなくなっていますが、奄美の辺境との存在意義もなかなか持ち得えない。
 かと言って「清ら島」をアピールすればするほど、"沖縄" の存在感があらわになりますね。

 僕はむしろ、中国の辺境にあった「秦」が「中華」の範囲を広げて最終的には中原の中心を勝ち取ったように、与論はあえて「琉球」を掲げてはどうかと提案したいのですがどうでしょうか?
 まあ、理想的には県境の枠を超えて、沖縄県との擬似的なタイアップも有効だと考えます。
 琉球の中心は与論。。。とりあえずのターゲットは沖縄県とし、つまりは『与論島―琉球の原風景が残る島』を宣言するわけです。

投稿: 琉球松 | 2013/08/30 19:54

琉球松さん

コメントありがとうございます。「琉球の原風景が残る島」はいいコンセプトですし、島人の心情にも叶っていると思います。「琉球の中心は与論」と言うと、島人はたじろぐと思いますが。^^

投稿: 喜山 | 2013/09/01 17:26

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