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2013/07/15

「奄美の復帰60年–なにが検証されてきたのかを問う」に参加して

 昨日、国分寺の東京経済大学で開催されたカルチュラル・タイフーンに行ってきた。パネラーとして参加したのは、「奄美の復帰60年–なにが検証されてきたのかを問う」というセッション。

 パネラーの参加者、中西雄二さんは、在関西の奄美出身者が、「奄美」、「南西諸島」、「沖縄」というさまざまな名の元の活動が生まれながら、最終的には、「旧鹿児島県大島郡」を立脚する根拠として選択していく様をトレースして、復帰過程のアイデンティティの揺れを指摘した。前利潔さんは、「復帰は早すぎたのではないか」という指摘も発言もこれまであったが奄美内から発せられたものではない。尚早という視点から復帰を相対化する議論があってよいのではないかという問いかけを行った。

 ぼくは、千字の趣旨文で書いた通り(「いま、奄美が語れること」)、「異民族支配からの脱却を獲得した民族自決の祖国復帰」ではなく、「着ること、食べること」を求めた生活権の獲得運動として捉えることが重要だと主張した。

 千字文に書いたのはそこまでだったが、もうひとつ開かれたローカリズムの例として、与論イメージを取り上げた。これは以前、「与論イメージの冒険」として書いたものを、図を更新してふたたび議論の俎上に載せたものだ。 

Yoronimage


 ここで、申し上げたかったのはこういうことだ。奄美は、その困難を「無国籍地帯」(前利潔)と形容されることもあるけど、映画『めがね』で示された「この世界のどこかにある南の海辺」というフレーズは、まさに無国籍地帯を表現したものと受け取れる。しかし、それは困難としてではなく、ポジティブなイメージとして表現されたものだ。

 強いられた困難をポジティブなイメージとして転換すること。これは、一朝一夕にできることではなく、与論イメージの蓄積と、それを可能にする与論の立ち位置があって実現できたもので、この与論イメージの層は復帰以後60年の達成である。そういうことだった。

 途中、調子に乗って、まるで政治家の与太話のような口調になるときがあって、少し反省した。司会の大橋さんには、「喜山さんの言説は奄美では受け入れがたい面がある」と、たびたび指摘されたが、そんなことはないのではないかと自己弁護的には思ったりする。

 復帰世代がご存命のうちにより多くの証言を聞き出すこと、復帰を問いなおす言葉を彼らにも届けることは、いまの重要な課題だと思う。


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