島のはじまり
島のはじまり
ともあれ、与論は隆起珊瑚礁の島。そのことは、島のあちこちで見かける珊瑚岩からも知ることができる。開拓のため土地を掘れば生まれたてのような真っ白な珊瑚岩に出会う。それを民家では石垣に使ってきた。
船の誘導灯があるほどの高さの島の中央の高台にも珊瑚岩が見つかる。いや見つかるどころではなく、珊瑚岩がちょっとした渓谷のように連なっていて、与論らしくないちょっとした壮大な景観を楽しめる。そしてその壮大さに見合うように、実はそこは与論の神話に名高いハジピキパンタなのだ。以前は鬱蒼とした森の状態で知る人ぞ知る、知る人しか行けない場所だったが、いまは整地されて誰でも足を踏み入れることができる。もっとも聖地だから、それがいいことなのかどうかは分からないけれど。
その神話で、島のはじまりはこう言われている。
むかしむかし、とてもとても、はるかに遠い大昔のことです。
与論島が、まだ島としてでき上がっていない時代に、アマミクとシニグクのおふたりの神が、魚取りをしようとして舟に乗って、遠いところへ行っている時、舟の舵が浅い瀬にかかって、舟はついに止まってしまった、ということです。
そこで、ふたりの神は驚いてしまって、その浅い瀬のところへ降りて瀬を見ていると、瀬はしだいに波の上に盛り上がって来つつあるのです。
島産みをしている。島が成っていく(できてきつつある)。島が生まれつつある。良い島でございます。
と、アマミクの神がシニグクの神へ、いってくださったということです。シニグクの神は、
良い島にしましょう。
といったということです。
その舟の舵が懸かってしまったところは、「舵引キパンタ」といっている。(山田実『与論島の生活と伝承』1984年)
船の舵が引っかかったから、「舵引きのパンタ」、舵引きの丘というわけだ。この一対の男女(兄と妹とされることが多い)が浅瀬に乗り上げて島に辿りつくという神話は、南の島々に見られるもので、特に珍しいものではない。アマミクとシニグクというのは琉球弧の創世神話のなかに登場する男女の二神で、日本神話のイザナギとイザナミと同じだと思えばいい。神話の中身にしても、島に訪れて最初に住んだ人たちが隆起珊瑚礁の島の浮上を目撃してたわけでもない。与論の出現を百之台にならって約十万年前と想定してみても、人類はまだ琉球弧には到達していない。
でも、島のはじまりはハジピキパンタとするところ、神話の型とはいえ、地層の歴史にかなっていて面白い。いやひょっとしたら神話を編んだ島人たちはそのことが分かったのかもしれない。そう思うと胸が高鳴ってくる。
この神話が面白いのはそれだけではなく、このあとに続く物語にあるのだが、それは後段で書くことができるだろう。
「島のはじまり 2」
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