旅人 森瑤子
鴨志田のように自滅旅の寄港地としてではなく、唐牛の身を隠すような滞在でもなく、与論に別荘地として居を構えた旅人もいる。作家の森瑤子だ。記録によれば、森は1987年に与論島を訪れ、その翌年には島に別荘地を建てている。それどころか、探訪しただろう島と山田実の『与論島の生活と伝承』をもとに、別荘を建てた年には与論を舞台にしたファンタジー『アイランド』も書いている。
思い立ったが吉日とばかりの即決と行動は、森の気性を問わず語りに伝えるが、彼女は与論の何に魅入られたのだろう。それは『アイランド』のなかにも垣間見えるかもしれない。
しかし、沖縄ではない。沖縄ではないが、その近辺の島だ。彼の脳裏にエメラルドグリーンの珊瑚礁が浮かび、眼に痛いような純白の砂浜が弓なりの曲線を描いて横たわるのが一瞬ありありと見えた。(森瑤子『アイランド』1988年)
『アイランド』が、与論に残る羽衣伝説に素材を採ったように、島の伝承は作家の想像力を刺激しただろうが、森が別荘を構えたのは、与論の珊瑚礁美、それが最初の一撃だったのではないかと思う。「エメラルドグリーンの珊瑚礁が浮かび、眼に痛いような純白の砂浜」という色の演じる美しい光景は着陸寸前から森の心を捉えたのではなかったか。
森が与論をどう評していたのか、ぼくは詳しくない。ただ、『アイランド』の解説を担当した女優、浜美枝の文章はそれを代弁しているようにも読める。
ある日、私は島にいた。そこは与論島の森瑤子さんの別荘だった。彼女とはもちろん東京で会っているのだが、出会いの記憶はどうしても与論で始まる。私はその夜、別荘からそっと抜け出して、瑤子さんのプライベートビーチに向かった。家から小道をぬけていくと月に照らされた美しい砂とヒタヒタと穏やかに寄せる波の可愛いビーチがある。昼間なら遠くを行く船から見えもしようが、夜の海に人の視線を気づかう必要はない。
私はTシャツもショートパンツも脱ぎ捨ててそのビロードのような海に身をまかせた。裸の皮膚に海水はなめらかにまとわりつき、その心地よさは水着をつけての戯れなどに比べるべくもない。ゆるやかに波が私を包み、その波に私も律動し、寄せては返しするうちに、私はあたかもこの海と一夜を過ごしてしまいそうな誘惑にかられた。(同前掲)
浜の解説は、与論の愉楽をよく捉えている。あの海を前にすれば人は裸になりたくなる。そうしてどうするのか。一夜を過ごすというのは、海と一体化して自然と溶けあうということだ。あの愉楽を森も知っていたに違いない。
けれど森は与論と一夜を過ごすのではなく、永遠の伴を選択した。彼女は与論に別荘を建てた五年後の93年に没するが、島に墓を作ることを決め、今も与論島に眠っている。
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コメント
旅人シリーズ、興味深いですね。南島を永遠の伴に選択した気持ち、ジンジン分かります。旅人は、そんな地を探して旅をしているんでは?と思うこの頃です。
投稿: tssune3 | 2013/03/05 11:05
tssune3さん
遅いお返事、申し訳ありません。出身者ですれ旅人の気持ちで、南島を永遠の伴にしてしまっています。^^
投稿: 喜山 | 2013/06/28 13:16