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2013/01/16

島人のはじまり

 島人のはじまり

 島はそもそも海中にあった珊瑚が海上を目指すように上へ上へ押し上げられたことで生まれた。そして、今ぼくたちが泳いでいる珊瑚礁ができたのはそれからずっとあとのことになる。

 珊瑚礁は海面下から形成を始める。ある研究では、与論の珊瑚礁の外海と隔てるリーフ部分は海面下3m付近から海面に向かって5,260年から3,230年前にかけて形成された(「琉球列島与論島の現成裾礁の地形発達」)。そして別の研究では与論島の現在の珊瑚礁が海の中から姿を現したのは3500年前とされている。これはお隣りの沖縄北部も同様だったようだ。3500年前という海面への到達時期は、石垣島と西表島の間の石西礁で約6500年前、久米島で約5500年前というから、与論は遅い。

 この、珊瑚礁成長ののんびりさ加減においても与論らしさを感じてしまう。自然に属することだから単純に擬人化してはいけれないけれどそう思えてしまう。いや、こののんびりさ加減こそは与論の島人の性質の土台になってきたものではないかと思ってしまうほどだ。

 珊瑚礁が形成されるということは人類にとって重要な出来事だった。それは、珊瑚礁ができることで砂州が形成され、打ち上げられた砂礫がちょっとした峰となって海岸平野をつくり、また同時に珊瑚礁が浜辺を安定させる。浅く穏やかな礁湖ができてそこに生息する海の生き物たちが人の資源になるからだ。

 与論も例外ではなかった。それというのも、与論で人類の痕跡が認められるのも現在までのところ三千数百年前を上限としているからだ(イチョーキ長浜貝塚)。珊瑚礁が海面に浮上したとされる頃、島には島人の形跡が残されている。この符合は、与論が珊瑚の島となって人類はここを居住地に選べるようになったと見なすことができる。他の島より遅く珊瑚礁ができ、それならばと、与論に上陸しいついた島人がいたと考えられてくる。

 けれどそれは、その前には与論には人はいなかったと断言できることにはならない。約2万年前の最終氷期には現在より海面の水準は120~140メートル低くかったから、与論の標高も当時は百メートルを上回っていたことになり、ということは、かつての陸地は海に没していることになる。与論でダイビングをすれば、洞窟が見つかるという話しも聞く。今は海中だけれど、そこに島人が住んだ痕跡が見つからないとは限らない。現に那覇市で見つかった「山下町第一洞人」の化石人骨は後期旧石器時代の三万二千年前の頃のものであり、奄美大島の土浜ヤーヤ遺跡も同じ後期旧石器時代のもので、3500年前に比べても恐ろしく古い。だから、珊瑚礁形成時に島人も住み始めたとするのは、少なくとも、と注意して置く必要はあるのだ。

「島のはじまり 3」

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