境界を溶かす珊瑚礁
境界を溶かす珊瑚礁
珊瑚礁の海は死滅が危惧されている珊瑚が母胎となって、さまざまな生物を育む。ふだんでも、青さが採れ、ベラやハゼなどの魚を採れる。ニモが愛称のクマノミも場所を選べば海亀に出会うことも稀ではない。六月になれば、不思議な魚、アイゴの稚魚(与論ではイューガマ)が外海から大挙してやってくる。珊瑚礁大潮で潮が引いて珊瑚礁が陸地として浮上すると、ウニや貝も採れる。その場で食べるウニは鮨屋のウニではなく、命をいただいている敬虔な気持ちにさせてくれる。礁湖(礁池)は琉球弧の島ではイノーと呼ばれるが、イノーは別名、海の畑と呼ばれる所以だ。珊瑚礁が発達して人が住める環境が整ったというのはその通りだと思える。
人類学の高宮広土は狩猟採集の生活が成り立つためにはそれに見合う土地の面積が必要だけれど、「沖縄のような島々で狩猟採集を糧として生きてきた人々がいたという事実は世界的に大変珍しいと思われる」(「沖縄タイムス」2012年2月13日)と書いているが、そうだとしたら、イノーの恵みがどれほど大きかったが分かる。
驚くことに与論には数多の地名があるけれど、地名が存在するのは陸地だけではない。イノーにだって、地名が名づけられていて、所有者がいたこともあった。畑と呼ぶにふさわしいのはこうしたことでも言える。
与論は珊瑚礁でできているというだけでなく、与論にとっては格別の意味を持っている。与論島の礁湖は琉球弧のなかでも「最も幅が広い」と言われていて、それだけ珊瑚礁の海を堪能できるしその恩恵に預かってきた。その上、砂浜は南岸の一部を除いて島全部を囲っている。与論は砂浜に恵まれた島だ。
砂浜の向こうには珊瑚礁が控えている。白砂があるということは、海は遠浅に連なる。外海との距離が大きければ大きいほど、浅い穏やかな海が広がる。黒潮の流れる外海とは違う。珊瑚礁の湛える海は礁池や礁湖とよばれるように静かなときは池や湖のように穏やかなのだ。
白の砂浜に立てば、穏やかにさざ波が足を洗ってくれる。波は透き通っていて砂浜をそのままに見せている。波がどこまで届くか目をやれば、波の線を描いてまた引いていく。次に寄せる波はまた違う波の線を描く。そこに陸地と海とを区別する境界線を引こうとしても、実はそれは定かではない。そのときどきの波の線が違うというだけではなく、引き潮のとき満ち潮のときでそれは違うからだ。
ことは汀だけではない。珊瑚礁が海で浸っているとき、そこは海だけれど、大潮のときは陸になって、海の境界はリーフの外になる。浜辺とリーフと。二重の意味で、海と陸の境界はあいまいにされ、境界はその都度変わる幅を持つ。ここに明確な境界を引くことは、本当はできない。
徳之島の民俗学者、松山光秀は珊瑚礁の地域の文化を「コーラル文化」と呼んだが、その文化圏の基本構造をます珊瑚礁について、三段階に分け、それを沖のコバルトブルー、干瀬のブラウン、砂浜のホワイトと色合いの変化として言い当てている(『徳之島の民族2』2004年)。与論ではこの三段階の色の変化が島を覆っている。いや、コバルトブルーは、それにとどまらず、陽の加減で淡い青や緑も鮮やかに放つ。
与論は島の周りのほとんどがこの浜辺とリーフによって境界を振幅させる。汀に立つだけでも、寄せては返すさざ波の安らかな音色に耳を澄ませていると、心は次第に心身を離れていく。あれこれ悩んで囚われている身体を抜けだして、心ここに非ずになるだろう。自分が動物や植物だった頃に戻っていくような気がしてくる。それは懐かしい感覚だ。懐かしいから怖くない。与論ではほとんどどの海辺でもこうした放心を味わうことができるだろう。これが与論ならではの、あの感じ、与論島クオリアのひとつだ
「島のはじまり 4」
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