旅人(たびんちゅ)
旅人(たびんちゅ)
島人同士の会話で使われる与論方言のことを島では与論言葉(ゆんぬふとぅば)と呼んでいる。与論言葉は琉球方言の言葉で、風を意味する「はでぃ」は琉球弧で広く使われているものもあれば、正確には知らないけれど、猫を意味する「みゃんか」など、与論ならではの言葉もある。
与論言葉では旅人のことを「たびんちゅ」と言う。旅人にはふた様の意味があって、文字通りの旅人、観光客を指す場合と、大和から移住して与論に住んでいる人のことを指す場合がある。琉球弧でよく使われる大和人(やまとぅんちゅ)という言葉がないわけではなく、局面によっては使うのだけれど、日常的には大和人と呼ぶのを控えるように、「たびんちゅ」と言うのだ。
「たびんちゅ」という言葉がいつ頃から使われているのか、定かではない。けれど、「旅」と現在の標準語を引用しているようにその使用は古いものではなく、近代以降のことではないかと思う。与論では大和人を使わずに旅人と言う。その使い方には与論らしい身ぶりがあるというのが、ぼくの見立てだ。
旅人という呼称には、大和人という言葉が否応なく招く、大和vs島という対立の契機が抜き取られている。いや、正確には対立することのニュアンスで使われることもあるのだけれど、なるべくそれを招かないように旅人と呼んでいる気がするのだ。島人と旅人は対立関係にあるわけじゃない。そのことへの気遣いを、旅人という言葉は背負っているのではないだろうか。
もちろん、そうは言っても、島人と区別するときに使われるものであれば、島には厳然と島の者とそうでない者とに区別する意識が働いているのであり、そのことで苦労している移住者の話も耳にしないわけではないし、目の当たりにすることもしばしばだ。それでも、その区別の垣根が他の島に比べると低いように感じられる。山のない島姿のように風通しがいい。
与論が観光名所として東京を始めとする大和から島の規模に比べたら大量の観光客を迎えた時期があり、その時代を潜り抜けることができたのは、「大和vs島」という対立の構図が浮かび上がりにくかったからだと思う。そしてその歓迎の気持ちを担ったのが旅人(たびんちゅ)という言葉だった。もちろん、垣根が低かったから招くことができたのか、大挙して押し寄せてきたから苦肉の策として垣根を下げたのかは本当のところは分からない。けれど、多くの旅人たちと接するなかで、「大和vs島」という対立の垣根を下げてきた努力があったことは確かだと思う。
ここにある身ぶり。既存にある大和人という言葉を使わずに、旅人という言葉を使う。そこにも、「大和vs島」という境界を消し去ろうとする与論ならではの振る舞いを感じるのだ。
「旅人 1」
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