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2012/05/05

『酒とシャーマン―「おもろさうし」を読む』とナ行音の前の撥音化

 吉成直樹の『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』は、「おもろそうし」が思われている以上にシャーマン的な側面を持っているのではないかとして、その要素をいくつか抽出してみせたものだ。

 「しけち」も「ち」も酒を意味するが、「しけ」は「神がかること」を意味するのではないか。神がかるということは精神が別の次元に転移することで、それは酒を飲んだ時の状態と同じだから、「ち」に「しけ」を冠したのではないか。

 「しけ」は「神がかること」と「海が荒れること」の両方の意味を持つ。それは、「神がかって身体をふるわせる姿が、海が荒れている情景と重なり合っているためだ」と考えられるからだ。

 霊力を意味する「せぢ」の原泉は、「しけ」と「あふ」にある。すると、「しけ」(神がかること)が、「せぢ」(霊力)の原泉ということになる。ここから、「せぢ」は「神がかった神女が発する神の言葉の霊力」ということになる。「おもろそうし」の「せぢ」にこの意味が込められているものはほとんどないが、「せぢ」が「霊力」の意味になりもともとの意味が忘れられていった結果でないかということはおおいにありうる。

 歌謡「みせせる」は神のつぶやき、ささやきを意味する「宣(せ)る」が原意で、神が人に言葉を発すること。これに対して本土古語の「宣(の)る」は人が神に祈願すること。

 ところで、この「宣(せ)る」という言葉を居考えてみますと、その連用形「宣り」は名詞になります。琉球語ではラ行音はナ行音に変化する場合がありますから、「せに」「せん」「せの」への変化が考えられます。これらの言葉は「酒」を意味します。つまり、ここでも、神がかりして言葉を発することと「酒」は、同じ語源と考えられることになります。(p.121)

 「しけ」が神がかりに関係する言葉なら、「あふ」も同じ意味である可能性が高い。「あふ」は「別々ものが一つになる、溶け合う」ことを意味する「あふ」に行きつく。「死者の眠る地先の小島」を奥武(あふ)島というが、これも「あふ」だとすれば、そこに行けば死者と一体化できる「あふしま」と解することもできる。

 『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』は、酒と神がかりの同一視から、「しけ」、「あふ」、「宣(せ)る」「霊力(せぢ)」を一気通貫に読み解いたもので、短いながら「しけ」をめぐる冒険が面白かった。

◇◆◇

 さて、ここまで引いておきながらぼくの関心は別のところに移ってしまう。吉成は「琉球語ではラ行音はナ行音に変化する場合があ」るとしているが、別のところでは、こう書いている。

 さきに述べた「宣の君」の問題も。「宣る」の連用形の「せり」が用いられた「せりの君」が「せんの君」になり、。撥音の「ん」が脱落したと考えることができるかもしれません。「ら」「り」がナ行音の前で撥音化し、さらに脱落するいことは本土古語の場合にはよく見られる現象のようです。(p.92)

 どうしてここで立ち止まるのかと言えば、ぼくにとっては他でもない。「ゆんぬ」の語源として、ぼくは「ゆに」が「ゆうに」(長音化)を経て「ゆんぬ」(撥音化)になったという経緯を考えている(cf.「砂州としてのユンヌ(与論島)」)が、ラ行のナ行音化と撥音化は、「ゆるぬ」から「ゆんぬ」への道筋をつけるものであるかもしれないからだ。

 「ゆんぬ」の語源として挙げられるものに、「ゆるぬ」がある。「寄りもの」という意味とされる。吉成が言うように、ラ行音がナ行音の前で撥音化することがあるとすれば、「ゆるぬ」が「ゆんぬ」へ転化することは、少なくとも音韻の上からはありえることになる。1614年に「輿留濃」と記されたことにも脈絡がつく。

 そこでぼくは改めて、語源の意味からの妥当性を探ることになる。まず、前にも書いたが、色々なものが寄ってくる島という「寄りもの」という名称は、土地の地勢を表わすという初期の地名命名の原則から言えば、ありえないと思える。地勢の特徴を言う前に、その土地に見られる現象で名指すとは思えないからだ。

 似た地名として奄美大島に寄り添った「与路島」があるが、与路島と与論島を同一視した視方も存在している。

 また、遣唐使南島路の時代に寄港地名としての由来に基づく島名がある。ユル(与路)、ユンヌ(与論島)という方言名の島々は、船舶の寄り着く意をそのまま島名にしている。
 奄美大島南部の瀬戸内町や宇検村は特に良港に恵まれているため、外地からの遠洋航海の寄港地としての口碑が多く語られている。与路島に面する加計呂麻島の伊子茂港は遣唐使船の寄港地であったという口碑が伝承されている。(星崎一著「与路島誌」参照)(p.391「古代の南島経営と奄美の地名表記考」林蘇喜男『奄美学―その地平と彼方』 2005年)

 これも地名の初期型の原則からすれば、「泊」(トゥマイ)という地名ならともかく寄港地であることが島名になるとは思えない。また、与路はいざ知らず、与論は珊瑚礁が発達しているため船舶の寄港として避けられた場所である。与路島と与論島の地名としての同一視は単に音韻の類似に拠ったものだと思える。与路にしても寄港地由来であるかは疑わしい。寄港地であるためには、そこにあらかじめ島民がいなくてはならないが、島人が生活の場である島を「寄港地」と言うのは不自然だからだ。また、遣唐使船の頃に付いた名だとしたら、それでは古名ではないことになる。

 与路は隣の請島(ウキ)との対で考えると、「寄る」島と「浮く」島ではないかと思える。島の規模から考えて、もともと大島、加計呂麻島に人は住んだと想定すれば、加計呂麻島から見て、大島に「寄った」島、「浮いて」見える島として名づけられ、そこに移った島人もその呼称に倣ったという仮説だ。

 「ゆるぬ」がありうるとしたら、この場合の与路と同じく、沖縄島に「寄った」島という意味ならあり得るかもしれないと思う。

 しかし、これも、名づけの視線が外在的で、「ゆに」(砂)由来だということに、ぼくは説得力を感じるし惹かれる。



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コメント

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da-ri.


noguti
saizousennsei
wo
kyou
yomikaesiteimasu.

pukana
made.

投稿: awa | 2012/05/06 16:28

awaさん


野口さんの本は、周りに気を配りながらも、かなり踏み込んだものだったんだなぁと最近、思います。直接、話を聞きたかったですね

投稿: 喜山 | 2012/05/06 17:15

 そうですね。

ものすごく謙虚なかただったのでしょうか?
子供の頃に 茶花の屋敷に立ち寄ったような気がします。 キサユシ商店で遊び道具を買っての帰り道だと思う。 現在の菊池水道の前に 鍛冶屋かガラクタ置き場があったような・・・、 一度もおはなしをした記憶がありません。 残念なことでした。 中学校の高歌の作詞者だったのは知っていましたが 与論町史を読んでからその功績がわかりました。
現地調査の必要なところを教えてください。
田舎で働き隊 事業を終えて一息ついています。
 では  次を楽しみにしています。

投稿: あわ | 2012/05/09 23:52

あわさん

ぼくにとっては小学校三年の担任だったので、謙虚かどうかは感じることができませんでした(笑)。学生の頃、民俗のことで質問したことがありますが、こちらの知見がなくて、たいした質問ができませんでした。「なぜ、ユタと言わずにヤブというのか」。それくらいしか。

・サトゥヌシがスーマという別称を持つのはなぜか。
・ショウのグループが、寺崎までムッケーシニグをしていた理由
・尚氏統一の後、琉球から与論に来た人は北山からだったのか、別の系列もあったのか

そんなことを知りたいです。

投稿: 喜山 | 2012/05/13 16:59

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