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2012/05/27

向原祥隆の鹿児島県知事選、出馬表明に寄せて

 5月22日、南方新社代表の向原祥隆(むこはらやすたか)が、6月21日告示の鹿児島県知事選への出馬表明を行った。川内原発1、2号機の再稼動を拒否するか否か、3号機増設の白紙撤回を九州電力に申し入れるか、の点について現職の伊藤知事に公開質問状を提出。伊藤知事による、これに回答するつもりは「全くありません」という応答を受けてのものだ。


 出馬表明の際の記者会見の模様も見ることができる。

 向原は脱原発を標榜していることが強調されるが、エネルギー政策の転換という点だけではなく、彼が基本施政として謳っているのは、「天下り・官僚知事から民間・土着の知事へ」ということだ。向原が言うのは、国の方針をそのまま鹿児島県に押し付けるのを止めるということ。知事は、国の統治代行者ではなく、奉仕者として県民の側を向いて県民に寄り添うのが筋だということだ。これは、鹿児島県に住んだことがあれば実感としてよく分かる。福島が会津として明治以降、官軍の意思によって苦杯を味わわされてきた地域だとすれば、鹿児島は官軍の意思に自己同化しつつその実、苦杯を強いられてきた地域である。あるいは苦杯を強いられているのを、官軍の意思に自己同化することで見ぬ振りをしてきたと言い換えてもいい。

 現時点で発表されている向原の政策も記事になっている。

 2012年知事選:「原発、米軍、産廃とは縁切る」 向原氏が基本政策を発表 /鹿児島

 ◆向原氏の主な基本政策

・川内原発1、2号機再稼働反対
・同3号機増設の白紙撤回
・高レベル放射性廃棄物処分場建設反対
・馬毛島の軍事基地化反対
・薩摩川内市の最終処分場建設白紙撤回
・TPP参加反対
・副知事に女性を登用
・若者の起業、就労支援
・農村就労促進

 伊藤は「脱原発」しか選択肢はないとしつつ、しかし経済のためには向こう30年間は再稼動はやむをえないという考えであるのに対し、向原は、自分が生きていないかもしれない30年後に脱原発というのは、そもそも脱原発ではない現状容認にしか過ぎず、「原発という選択肢は福島以降、ない」としている点で明確な対立線を引いている。

 ぼくは、科学技術としての原子力は研究され続けるべきだと思う。それが、原子力を技術化した人間の責任である。そして原子力を実際のエネルギー技術として適用するには、万全の防御装置を施した上でする他ない。しかしそれを商売としてやるには現段階の技術とコストでは採算が採れないというのであれば、稼動はすべきではない。採算とコストに合う程度の防御装置で行うという選択肢は福島の事故で破綻してしまっている。

 こんかい直面しているのは、ひとたび事故が起きれば、当事者ですら責任を取れないという事態だ。ふつうリスクというのは、それが起こった場合の対処法を想定するし想定できるからリスクを取れるのだが、これは対処法が実質ないというリスクなのだ。そのことは、福島の事故が起きるまであいまいな認識のまま原子力発電を容認してきた自分にも認識の転換を迫るものだ。

 制御可能な原子力技術があれば、その話を聞きたいし、そういう声が科学者のなかから聞こえてこないのは残念だ。原子力技術のエネルギー化が現時点で不可能であれば、いずれ出てくるだろう向原のマニフェストが、脱原発以降のエネルギー政策が明瞭に現れて、原発とは別の、県民の生活の不安を少しでも拭い去ることを期待したい。

 もうひとつ。選挙戦が終わるまで、メディアが報道することはないだろう側面で取り上げておきたいことがある。それは、向原は、「天下り・官僚知事から民間・土着の知事へ」とメッセージするが、これをぼくに引き寄せて言えば、奄美に対して理解と行動を示してきた鹿児島出身者の立候補であるということだ。ぼくたちにとっては、これは特筆すべきことである。

 向原祥隆を応援するサイトも立ち上がっている。

 向原よしたか


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2012/05/05

『酒とシャーマン―「おもろさうし」を読む』とナ行音の前の撥音化

 吉成直樹の『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』は、「おもろそうし」が思われている以上にシャーマン的な側面を持っているのではないかとして、その要素をいくつか抽出してみせたものだ。

 「しけち」も「ち」も酒を意味するが、「しけ」は「神がかること」を意味するのではないか。神がかるということは精神が別の次元に転移することで、それは酒を飲んだ時の状態と同じだから、「ち」に「しけ」を冠したのではないか。

 「しけ」は「神がかること」と「海が荒れること」の両方の意味を持つ。それは、「神がかって身体をふるわせる姿が、海が荒れている情景と重なり合っているためだ」と考えられるからだ。

 霊力を意味する「せぢ」の原泉は、「しけ」と「あふ」にある。すると、「しけ」(神がかること)が、「せぢ」(霊力)の原泉ということになる。ここから、「せぢ」は「神がかった神女が発する神の言葉の霊力」ということになる。「おもろそうし」の「せぢ」にこの意味が込められているものはほとんどないが、「せぢ」が「霊力」の意味になりもともとの意味が忘れられていった結果でないかということはおおいにありうる。

 歌謡「みせせる」は神のつぶやき、ささやきを意味する「宣(せ)る」が原意で、神が人に言葉を発すること。これに対して本土古語の「宣(の)る」は人が神に祈願すること。

 ところで、この「宣(せ)る」という言葉を居考えてみますと、その連用形「宣り」は名詞になります。琉球語ではラ行音はナ行音に変化する場合がありますから、「せに」「せん」「せの」への変化が考えられます。これらの言葉は「酒」を意味します。つまり、ここでも、神がかりして言葉を発することと「酒」は、同じ語源と考えられることになります。(p.121)

 「しけ」が神がかりに関係する言葉なら、「あふ」も同じ意味である可能性が高い。「あふ」は「別々ものが一つになる、溶け合う」ことを意味する「あふ」に行きつく。「死者の眠る地先の小島」を奥武(あふ)島というが、これも「あふ」だとすれば、そこに行けば死者と一体化できる「あふしま」と解することもできる。

 『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』は、酒と神がかりの同一視から、「しけ」、「あふ」、「宣(せ)る」「霊力(せぢ)」を一気通貫に読み解いたもので、短いながら「しけ」をめぐる冒険が面白かった。

◇◆◇

 さて、ここまで引いておきながらぼくの関心は別のところに移ってしまう。吉成は「琉球語ではラ行音はナ行音に変化する場合があ」るとしているが、別のところでは、こう書いている。

 さきに述べた「宣の君」の問題も。「宣る」の連用形の「せり」が用いられた「せりの君」が「せんの君」になり、。撥音の「ん」が脱落したと考えることができるかもしれません。「ら」「り」がナ行音の前で撥音化し、さらに脱落するいことは本土古語の場合にはよく見られる現象のようです。(p.92)

 どうしてここで立ち止まるのかと言えば、ぼくにとっては他でもない。「ゆんぬ」の語源として、ぼくは「ゆに」が「ゆうに」(長音化)を経て「ゆんぬ」(撥音化)になったという経緯を考えている(cf.「砂州としてのユンヌ(与論島)」)が、ラ行のナ行音化と撥音化は、「ゆるぬ」から「ゆんぬ」への道筋をつけるものであるかもしれないからだ。

 「ゆんぬ」の語源として挙げられるものに、「ゆるぬ」がある。「寄りもの」という意味とされる。吉成が言うように、ラ行音がナ行音の前で撥音化することがあるとすれば、「ゆるぬ」が「ゆんぬ」へ転化することは、少なくとも音韻の上からはありえることになる。1614年に「輿留濃」と記されたことにも脈絡がつく。

 そこでぼくは改めて、語源の意味からの妥当性を探ることになる。まず、前にも書いたが、色々なものが寄ってくる島という「寄りもの」という名称は、土地の地勢を表わすという初期の地名命名の原則から言えば、ありえないと思える。地勢の特徴を言う前に、その土地に見られる現象で名指すとは思えないからだ。

 似た地名として奄美大島に寄り添った「与路島」があるが、与路島と与論島を同一視した視方も存在している。

 また、遣唐使南島路の時代に寄港地名としての由来に基づく島名がある。ユル(与路)、ユンヌ(与論島)という方言名の島々は、船舶の寄り着く意をそのまま島名にしている。
 奄美大島南部の瀬戸内町や宇検村は特に良港に恵まれているため、外地からの遠洋航海の寄港地としての口碑が多く語られている。与路島に面する加計呂麻島の伊子茂港は遣唐使船の寄港地であったという口碑が伝承されている。(星崎一著「与路島誌」参照)(p.391「古代の南島経営と奄美の地名表記考」林蘇喜男『奄美学―その地平と彼方』 2005年)

 これも地名の初期型の原則からすれば、「泊」(トゥマイ)という地名ならともかく寄港地であることが島名になるとは思えない。また、与路はいざ知らず、与論は珊瑚礁が発達しているため船舶の寄港として避けられた場所である。与路島と与論島の地名としての同一視は単に音韻の類似に拠ったものだと思える。与路にしても寄港地由来であるかは疑わしい。寄港地であるためには、そこにあらかじめ島民がいなくてはならないが、島人が生活の場である島を「寄港地」と言うのは不自然だからだ。また、遣唐使船の頃に付いた名だとしたら、それでは古名ではないことになる。

 与路は隣の請島(ウキ)との対で考えると、「寄る」島と「浮く」島ではないかと思える。島の規模から考えて、もともと大島、加計呂麻島に人は住んだと想定すれば、加計呂麻島から見て、大島に「寄った」島、「浮いて」見える島として名づけられ、そこに移った島人もその呼称に倣ったという仮説だ。

 「ゆるぬ」がありうるとしたら、この場合の与路と同じく、沖縄島に「寄った」島という意味ならあり得るかもしれないと思う。

 しかし、これも、名づけの視線が外在的で、「ゆに」(砂)由来だということに、ぼくは説得力を感じるし惹かれる。



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