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2012/04/07

体内言語から見た琉球弧

 吉本隆明の『ハイ・イメージ論2』『母型論』と吉成直樹の『琉球の成立―移住と交易の歴史―』から、体内言語である遺伝子からみた日本列島人を整理すると下表のようになる。

Dna_2


 吉成の解説に従って、場所を琉球弧に限り琉球弧人がどのように成立したかを見ると、まず、mt(ミトコンドリア)DNAのM7aが南からやってきて北海道まで北上する。また北からは、N9bが琉球弧まで南下する。縄文時代前期並行期には、曾畑式土器文化人と目されるY染色体DNAのD2が南琉球まで南下する。そしてオーストロネシア語族と目されるBが、琉球弧づたいに北上。次には、Dを東北アジアから追いやったとされるO2bが11世紀以降に南下し、南琉球まで到達する。

 これからの成果は、それ以前のものに比べると、より複雑になっている。歯列にしてもATLウィルスにしてもGm遺伝子にしても、おおよそ二系統で説明されていて、いわゆる二重構造説の考え方と符合している。むしろ、二重構想説という下敷きをもとに研究がなされた結果ではないかと思わせるくらいだ。

 歯列、ATLウィルスキャリア、Gm遺伝子の結果は、mtDNAやY染色体DNAときれいに一致するわけではない。与那国島で高い値を示すGm遺伝子の北方蒙古系は、O2bと似ているようにも見えるが、O2bの発祥の地はシベリア、バイカル湖付近かどうかは分からない。また、mtDNAでバイカル湖付近が発祥とされるAは、Gm遺伝子北方蒙古系と似た傾向を示さない。

 この表を眺めていると、日本人の語られ方と共鳴しあうように見えてくる。たとえば、養老猛司はどこかで、日本人は中国が嫌でやってきた人たちでしょうと語ったことがあるが、それはY染色体DNAのD2の動きに重ねてみることができる。また、ぼくたちが、無意識理にアイヌに親近感を抱く時、南と北で高い値をとるM7aを指している。さらに、少し前の琉球弧の世代が、何がなんでも日本人と云い張るために、天孫一族の末裔が私たちの「主体」であると主張したとき、O2bの流れにアイデンティファイしたものだと見なすことができる。

 ともあれ、体内言語である遺伝子の解明は、単一民族であると政治的に言われがちだった日本人像に風穴を開け、多様な種族の流れを含むものであることが明示され、風通しをよくしてくれる。

 ところで舞台を与論島に限ると、基層的な系譜であるM7aもO2bも関与しない。島はまだ海面に現れていなかったからだ。曾畑式縄文文化人の北からの流入も関与しない。与論は、オーストロネシアBの北上からが舞台であり、ついで、グスク時代のO2bを迎えるということになる。むろんその間もそれ以降も多様な流入と流出があったとしても、島が新しいということは、行き交う人の歴史もまた新しいということだ。与論は何もかもが古くなく見えるときがあるが、それはこうした島の成り立ちも加担していることなのだろう。


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