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2012/04/01

沖縄国際シンポジウム三日目の印象記

 休日を利用して「沖縄国際シンポジウム」の最終日に出かけてきた。

 「復帰40年沖縄国際シンポジウム これまでの沖縄学 これからの沖縄学」

 同時にいくつものセッションが開かれているので全貌を把握するのは無理。そこで、もっとも関心のあったパネルにまず足を運んだ。「琉球列島先史学最前線」。

 「最前線」という名づけの勢いが示すように、近年のこの領域の成果はめざましいのではないだろうか。得るところが多く刺激的だった。「世界の中の琉球列島史 島の先史学から」と題した高宮広土の報告。

 琉球列島の先史は、世界の先史学に貢献できる要素があるのではないか、として五つの特徴を挙げる。

1.旧石器時代にヒトがいた島嶼だった
2.島嶼環境であるにも関わらず、狩猟採集を営むことができた
3.自然と調和していた人々がいた島
4.狩猟採集から農耕への変遷があった
5.国家が成立した島

 これらのポイントは、世界でも稀有な例であるという。自然と調和していた、というのは、人が流入すると絶滅動物が生まれるが、琉球列島では今のところ、それは見当たらないということ。島嶼は狩猟採集が行われるには面積が小さい。しかし琉球列島ではその時代を持ち、かつ数少ない狩猟採集を持った島嶼は農耕へ移行することはないが、それも琉球列島では行われた。

 それぞれのポイントはぼくたちは無意識のうちに自明と見なしてきた事柄だが、他の例を当るとほとんど見つからないと指摘されて、琉球列島を見る眼差しに奥行きを与えられるような感銘を受けた。実際、いくつも想像をかきたてられる。たとえば、ふつう島嶼で狩猟採集を営むのは難しいとしたら、それだけ珊瑚礁の海の畑の恵みは大きいことを示しているのではないか。絶滅種に追い込むことがなかったのは、動植物と人間を区別する世界観を持っていなかったから。島嶼で国家が成立するのは稀有だということは、琉球王国の成立には人工的というか外的な要因が大きく働いたのではないか、などだ。

 吉成直樹が『琉球の成立―移住と交易の歴史― 』で、高宮の挙げたポイントを引いて「このような例はほかにないという」と書いているのを読んだときは、大袈裟な印象を受けたのだが、直接本人からの報告を聞き、そうなのかもしれないと思えた。そこに身贔屓にロマンを求める傾向を感じ取ることもできるが、それはぼく自身のものでもあり、今後の深化を待ちたいところだ。

 藤田祐樹は、港川人が華奢であることを、島嶼では動物が小型化する例を参照して一視点を与えたのも刺激的だった。また、いわゆるグスク人が中世日本人の頭骨と類似することから、中世日本人の移住を想定する向きが多いし実際そうなのだろうと思われるが、異種の人的交流がなくても頭骨、骨格は変化しうる例を、日本人の変化を例に挙げたのも、研究者ならではの冷静な視線を感じた。慎重でなければならない、ということだ。白保で発掘が進められている人骨が港川人以降のミッシングリンクをつないでくれるのか、これも今後の成果を期待したい点だ。

 新里貴之の「貝塚時代の社会変化」も刺激的だった。動物性タンパクはリュウキュウイノシシ主体から魚類、貝類主体に移る。この後、ふたたびリュウキュウイノシシへ比重は移るのだと思うが、最初から魚類、貝類ではなかったのは驚きだった。驚きといえば、居住地は、洞穴から台地・丘陵地に移り、砂丘立地になる。ところが貝塚時代後期後半になると、再び台地・丘陵地に移行するという点だ。居住地については、漠然と洞穴を出て台地・丘陵地に移り、農耕とともに低地に移ると考えてきたので、行ったり来たりの変遷は新鮮だった。珊瑚礁環境が畑であるという視点や貝交易との関連など、これも想像力をかきたてられる。ヤコウガイの大量出土は、奄美大島北部、久米島だけでなく、与那国島にも認められる。そういう意味ではヤコウガイ交易の口は三つあると言えるのではないかという指摘も興味深い。また、ゴホウラ、イモガイ、ヤコウガイなど、ときどきの流行により産地は栄えるが、流行が終わると、産地も廃れるという指摘も当時の状況を考察する上での重要な視点に思えた。新里の報告は、事象のマッピング、図解にも優れ、思わずほぼ全部写真に収めてしまった。

Senshi

 瀬戸哲也は、いわゆるグスク人を中世日本人の流入によって説明する傾向が強いが、中国を含む多様な交流のなかにグスク人を登場させる必要があるという主張を含んでいた。

 白紙か淡色なイメージで済ませているが、高宮が指摘する通り、琉球列島の歴史の95%は先史時代であり、ここが掘り起こされるということは、自分たちの祖先の動きに手を伸ばすことができるということだ。尽きない刺激波を放ち続けてほしいと思う。

◇◆◇

 午後は時代を現在に取り、「米軍基地が地域社会に及ぼす影響-辺野古・高江・グアム」を聞いたが、これは期待外れだった。三人のパネラーの発表の後、コーディネート役の多田治が、悪役と断ったうえで、何のために誰のために報告を行っているのかと切りこんだが、真っ当な指摘だった。ぼくは主題の重さに比べ報告のおすまし加減に退屈して眠りかけていたが、多田の無双ぶりに目が覚めた。会場からの質問では、「地域社会が米軍基地に及ぼした影響」もあるのではないか、受け容れたと言うが、現に基地が目の前にあっても受け容れていないという抵抗の仕方もあるのではないかという声が出た。もうひとつ、グアム移転という話が出たとき、他者性が浮かび上がったが、他の地域が沖縄をどう見るのかという視点で言えることはないかという質問もあった。これらについても、パネラーからの応答は弱く、回答になっていなかった。時間的に会場を出なければならなかったので、最後までいなかったが、去り際に壇上を見つめる、そうは多くない聴取者の表情も厳しかった。

◇◆◇

 他に聞きたいものもあるけれど、これを外すわけにはいかないと三つ目は、「映像と歌でつづる琉球紙芝居」。

 「おきなわの始まり・察度王の物語」は、久万田普の即興ピアノをBGMにした宮城麻里子の朗読。神話のなかに登場するアマミクの来歴に想いを馳せながら、耳を澄ました。羽衣伝説にまつわるところは民話の持つ魅力があったが、察度がのし上がる辺りからつまらなくなり物語としても意外に貧相な印象を否めなかった。ピアノと明朗な声は終始、心地よかった。

 シーサーズによる「島建てシンゴ~沖永良部島ユタの呪詞」には感銘を受けた。土地の人が自分たちが育んできた民話や歌を取り上げられるとき、不快に思うか喜びを受けるかの境界はどこにあるだろう。シーサーズは、三線の他にバイオリンやパーカッションも加え、大胆なアレンジを加えていた。ぼくは島建てシンゴのオリジナルを知らないが、これらの編集にも関わらず心動かされたのは、沖永良部の言葉と音階に忠実であったこと、持田明美によるイラストもどこか島の魂(マブイ)を引き継ぐもののように感じられたこと、冒頭に島の唄者の紹介があったことなどがすぐに思い浮かぶ。けれど、それだけではなく、島建てシンゴをただの手段として扱っているのではない島の歌謡に対する敬意とそれを表現するシーサーズの力量が大きく与っているのに違いない。メロディの反復が祝祭の昂揚のように白熱化していき、大きな拍手とともに幕は引かれた。公演はシーサーズによる「島建てシンゴ」という作品になっていたと思う。沖永良部の島人が聴く機会がありますように。

Shimadate


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コメント

 "貝塚時代後期後半になると、再び台地・丘陵地に移行" 。。。これって、海岸付近には鬼など、ヤマト側の敵が来襲するようになったからじゃないでしょうか。

 この頃から、沖縄で言う「苦世(ニガユ)」が始まると思うんですよ。それ以前までの「甘世(アマユ)=奄美世?」は、ゴホウラなどを採りに、神々が海岸にやってきたと解釈したほうがイイように思います。
 この「苦世」の時代を表現しているのが、与論
&沖永良部を含む「シヌグ・シニグ」の祭りだと思います。

投稿: 琉球松 | 2012/04/07 13:42

琉球松さん

また遅くなってごめんなさい。
甘世、苦世の言葉は知らなかったので新鮮でした。苦世になって来襲が起こるようになって高地へ移住したというのは説得力を感じます。

シニグがそれを表現している。この線も考えてみますね。

投稿: 喜山 | 2012/04/21 17:10

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