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2012/02/05

アマン・アマミ・アマミキヨ

 崎山理は「オセアニア・琉球・日本の国生み神話と不完全な子-アマンの起源-」(1993年)のなかで、アマンがオーストロネシア語を語源とすると書いている。

 原オーストロネシア語の、(k)umang「ヤドカリ」が、西部ミクロネシア地域で、[q]emang という二次形が発生し、琉球諸語でこれに由来する形が保持されたとして、琉球祖語形として、[q]amangを立てている(p.11)。

 そしてこの語源とヤドカリが登場する開闢神話を結びつける。八重山、白保の民間伝承。

大昔、日の神がアマン神に天から降り下界の島を作るよう命じた。アマン神は土砂を槍矛でかきまぜ島を作ったあと、アダン林のなかでアーマンチャー、すなわちヤドカリを作った、その後、神は人子種を下し、ヤドカリの穴から二人の男女が生まれた。

 この神話の形は、「人間の創造にあたって現れた不完全な子を、いずれも水生の小動物によって表現している天で共通する」(p.8)。オセアニア、ベラウ(パラオ)ではこの小動物はオオジャコになる。オオジャコがヤドカリに取って代わっている理由について、崎山はオオジャコが八重山にはほとんど見られないからとしているが、吉成直樹は「先島諸島でもオオジャコは生息しており、オオジャコからヤドカリに置き換わった理由は別に求めなければならない」(『琉球の成立―移住と交易の歴史―』p.96)としている。

 ぼくはヤドカリがそれだけ初期島人にとって普遍的な存在だったからだと考える。私的なことになるが、浜辺から数百メートルもない位置にあったぼくの家では、夜、周囲の石垣をひと回りするとバケツ一杯のヤドカリは容易に採れた。これは、子どもにとって魚釣りの前の晩の楽しみだったが、海辺近くに住んだ初期島人にとってヤドカリは最も身近な存在であったに違いない。崎山はそれを「不完全な子」として表現するが、それは近代的な解釈というもので、初期島人、あるいは神話を作った人々はヤドカリを「不完全な子」と認識していたわけではない。人間は動物と等価な存在だという認識がそこにはあり、人間がヤドカリの子孫であるということは信じられていたと思える。女性の手の甲のヤドカリをモチーフにしたハジチ(針突)はその信の深さを物語っている。

 崎山は続けてアマミキヨの神話にも触れ、アマミキヨもアマン由来のものであることを示唆する。吉成はこれを重視するが、ぼくもそう思う。ここで、ヤドカリ、アマン、奄美、アマミキヨが同一の根拠のもとに考えられる場所が生まれるからだ。

 首里ではアマミキヨはアマンチューである。アマンチューの語義は「ヤドカリ人」である。アマミキヨはアマミ+コ(子)」であり、コが口蓋化によって「キヨ」に変化したものである。したがって、この神話的な存在であるアマミキヨのアマミは、本来、ヤドカリを意味するにすぎないが、神話的な存在としてのヤドカリ、より具体的に言えば「トーテム(祖先)としてのヤドカリであっても不思議ではないことになる。(p.101)

 そこで吉成は「アマミ」という地名について、「ヤドカリをトーテムとする人びと」が住むことに因む名称ではないかと書くわけだ。

 与論の島言葉の語感から言えば、首里のアマンチューはヤドカリ人、八重山、白保の神話のアーマンチャーはヤドカリ人々の意味になる。657年、『日本書紀』に「海見」と書かれた当時、大島には「アマミ」という地名は無かったが、アマンチュー(アーマンチャー)は祖先神であった。大和朝廷勢力の人々は、その語感から「アマミ」と名づけたのではないか。この神名を地名とするのは、『古事記』における、伊予の国がエヒメ(愛比売)の命と同一であるとする名づけ方と同じである。

 もちろん、アマンチュー(アーマンチャー)とアマミの間には音韻の隔たりがある。けれどそれは漢字を当てる際の恣意性に依る可能性は考えられる。たとえば、ユナンに与那国を当てユンヌに与論と当てたように、それに当たる漢字がないかあったとしてもそれよりも妥当に感じられる漢字があればそれに添わせるのは起きうることだ。ぼくたちは「アマミ」という地名は他称であると見なしてきた。他称であることのなかに、アマンチュー(アーマンチャー)をアマミと置き換える自由度が生まれる。あるいは「海見」とする漢字の魅力に引き寄せられる余地が生まれる。谷川健一が(『南島文学発生論』(『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1』所収))で示唆したように、潮を見(p.455)て訪れる島々であることが彼らの実感だった。

 しかし、祖先神が記述される段階、『おもろそうし』に記される頃には、他称である「アマミ」の影響を受け、神名はアマンチューはアマミキヨと書かれた。それでも、キヨはチュ(人)であり、コ(子)が口蓋化したものではなく、チュが五母音化したものであり、アマンチューと呼んだ名残りを留めている。チがキとなるのは、キム(肝)がチムとも呼ばれるように琉球弧では馴染み深い音韻の転訛の範囲内のことだ。

 この仮説は学術的なものではない。しかし、アマンという語感に対する圧倒的な親近とアマミという語感への疎隔という島人の身体感覚からすると、少なくともぼくにはリアリティがある。

 ところで崎山は、このアマンという言葉の渡来時期は、古墳時代以降だと見なしている。

日本語形成に関与したオーストロネシア語族の時期区分によれば、アマンは、古墳期以降の、オーストロネシア第三期に属する語彙項目のなかに含まれる(「オセアニア・琉球・日本の国生み神話と不完全な子-アマンの起源-」p.13)。

 ここでいう第三期とは何か。「日本語の系統とオーストロネシア語起源の地名」(『日本人と日本文化の形成』1993年)によれば、崎山理は、日本語形成に与ったオーストロネシア語族の渡来を三区分に分けて、それぞれの時代を段階化している。

1.ハイ期(縄文時代後期)
2.ヨネ期(縄文時代晩期~弥生時代後期)
3.ハヤト期(古墳時代)

 これを見ると、アマンとはハヤト期に該当すると崎山は言っていると思える。なぜ、アマンが第三期なのか。根拠となる論考にぼくはまだ辿りつけていないのだが、本土以北へアマンの語が遡上していないことに依るのかもしれない。これをそのまま受け取ると、古墳時代が3世紀半ば以降だとすれば、アマンという語も相当に新しいと言わなければならない。

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