砂州としてのユンヌ(与論島)-注釈
東恩納寛惇の『南島風土記―注釈 沖縄・奄美大島地名辞典』(1950年)における与論島の記述は次の通りだ。
輿 論 島沖永良部島より南西約十七浬、沖縄島の北端より約十浬の海上にあり、周圍約三里、方一里に充たず。方音「ユンヌ」輿留濃に作り明人繇奴に作る。沖永良部と連稱して「ユンヌエラブ」と云ふ。古へ國頭並輿論永良部等の地方、共に「奥渡より上の扱理」の専管たり。姚姓又吉系譜伝、「萬暦年間、叙築登之座敷、敍黄冠、而後任惠良部島地頭職。萬暦四十二年甲寅、任輿留濃地頭職。」主邑茶花島の西端に在り、赤佐又赤座に作る。茶花は謝花と同格の地名なるべし。
「任輿留濃地頭職」の「輿留濃」の箇所には、「ユンヌ」とルビが振ってある。これが出典の系譜伝に添えられているのか分からないが、1614年、与論は「輿留濃」と表記されたことがあった。島言葉で読めば「ユルヌ」となる。だがこれは、「ユルヌ」に「輿留濃」を当てたものではなく、「ユンヌ」の音に近い漢字として「輿留濃」をl当てたものだろう。仮に17世紀に「ユルヌ」と呼ばれていたのであれば、ユルヌからユンヌへの音韻変化はどこかに記述として残っていておかしくないはずだ。それよりは地名の慣性の方が妥当に思える。「輿留濃」はむしろ、「輿論」や「由論」と書かれる前段の漢字と見なすと変遷が理解しやすい。
「砂州としてのユンヌ(与論島)」の注釈として書いておく。
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