アーマンチュとアマミキヨ
当山昌直は、アマン、つまりオカヤドカリの伝承をもとに、アマン神とアマミキヨの関係について、次のようなシナリオを描いている。
古い時代、琉球にはアマン神(アマンチュ、またはアーマンチュ)にかかわる創世神話が民間に広く分布していた。一方、沖縄島玉城には比較的新しい時代の神話としてアマミキヨの伝承が残っていた。後の時代になって支配者はこれらの二つの神話をもとに支配者(王府)の神「アマミキヨ」を祀ることになった。この王府の「アマミキヨ」は、支配体制の中で奄美・沖縄へとひろがり、各地に存在していたアマン神はアマミキヨへと置き換わっていった。一方、王府の影響が少ない宮古・八重山諸島では王府のアマミキヨは民間には残らずに、特に八重山ではそのまま創世神話のアマン神が残った。(『奄美沖縄 環境史資料集成』2011年)
アマンチュ(アーマンチュ)はアマミキヨに取って代わられただけではない。アマミキヨ自体がアマンチュ(アーマンチュ)を言葉として元にしている。そしてそのアマミキヨは、奄美大島、喜界島周辺を去り南へ向かい、奄美から不在となった。
祖神ははじめ、オカヤドカリというトーテムとして北上する。しかし、新しい祖神は農耕儀礼の神として北からやってきた。それを演じるもとになっているのがアマンという同じ言葉だとすれば、まるでブーメランのようだ。アマンは農耕儀礼の神に変態したのだ。「砂」は「米」となって戻ってきたが(cf.「砂州としてのユンヌ(与論島)」)、ヤドカリはその「米」の神となって返ってきた。言葉の壮大なドラマがここにある。
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コメント
言語学的には、「アーマンチュー・アマンデー・アマンク・オマンチュ・オマンコ」などの語源が「アマミキヨ・アマミク・アマミコ」とされていますね。
『おもろさうし』に記録された当時は、奄美沖縄諸島でそれに近い音だったと考えていいと思います。
その後、数百年を経て発音に変化が見られようになったと。。。
「キヨ・ク・コ」は、現在の奄美沖縄スラング「チュ(人)」でしょうから、語源の本体は「アマミ」ですね。
それと基山さん、「アマミキヨ」は祖神ではなく創世神ですね。我々の先祖ではなく、奄美沖縄諸島を造った神ですから、宮古八重山は関係がありません。
先島諸島は、考古学的にも、言語学的にも、民俗学的にも、奄美沖縄に遅れて島立てされたことが証明できるようで、弥生人も到達していないですから、逆に言うと奄美沖縄諸島の島立ては弥生時代にさかのぼるとも言えそうです。
ちなみに、発音変化の一つ「オマンコ」は、ヤマト側ではとてもスラスラと発する言葉ではなくなっていますね。
投稿: 琉球松 | 2012/02/21 09:54
琉球松さん
遅くなってごめんなさい。祖神ではなく創世神。ご指摘、ありがとうございます。
> 奄美沖縄諸島の島立ては弥生時代にさかのぼるとも言えそうです。
ようやく、その辺りのことを考えられそうになってきました。
投稿: 喜山 | 2012/03/18 17:43