『南西諸島の家族制度』という手がかり
サークラを高倉と解するときに引用される論文として知っていた。しかし、それ以上の紹介に乏しいので関心を持てなかったのだが、与論シニグを考えるのに余りに手掛かりが少なく窮してしまい、ほんの慰みのつもりで、『南西諸島の家族制度の研究マキ・ハラの調査』を国会図書館で見た。けれど、大山彦一の論考はいい意味で期待を裏切るものだった。
大山は『南西諸島の家族制度の研究マキ・ハラの調査』のうち、約二百頁を与論シニグに割いている。ニッチェーサークラのシニグには同席し、島の古老への取材も多く、論考は本格的なものだった。あなどってはいけない。なかでも第二篇第三節の「部落定住。A、B、C群の社会体系の形成」は、与論のシマ形成の構造化を目論んだもので、ぼくなどがずっとやりたいと思ってきていることそのものだった。
もちろん、これで自分のやることは無くなったというのではない。この論考自体、1960年のもので、その後の学的成果を享受できない限界は当然、持っている。また、島の人でしか分からないことには手を届かせきれていない。ぼくはそれを頼りない程度だが、持っている。逆に、大山が与論に取材したのは1957年。語り継ぐ者希少になる一方のシニグであれば、記録は過去のものであればあるほどよい。それはぼくには無いものだ。大山の論考を引き継ぐ形でシニグ考を少しは続けていける。与論のような小さな島にとってそれはこの上ない贈り物だ。
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