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2012/01/07

シヌグの由来、語源、起源

 谷川健一の『南島文学発生論』(『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1』所収)によれば、沖縄、宮城島では、スクは三種類あり、それぞれに稚魚と親魚で呼称が違っている。稚魚、親魚の順に並べると、

 ・テダハニスク オーエー
 ・ウンジャミ イノーエー
 ・スク ヤチャ

 スクは、夏、旧暦五、六、七月の朔日(ついたち)の前後にイノーにやってくる。正確な日づけで到来する不思議な魚だ。

 スクは産まれて四、五日のものが大群をなしてイノーに入ってくる。イノーの藻を食ったスクは真赤になり、臭くて食べられない。そこでイノーに入るまえから縦状になってかたまっているスクを一メートル位の処に網を張って待ちかまえる。

 古代琉球はイノーを頼りに生活が営まれた。スクもその重要な寄りもの(谷川によれば一番大切な)である。それは、種類と親子で呼称を分けていることからも伺い知れる。しかも、正確な日にやってくることは漁にとって好都合であるばかりか、神秘的にすら感じさせる。

 そこで谷川は、スクの寄る日とシヌグが行われる日が同じであることに着目し、シヌグを「スクの寄ってくるのを待ち受けた人たちの予祝祭」であると捉えている。たとえば、安田のシヌグで山を降りる男たちの掛け声、「スクナレー」は、谷川によれば、「スク直れ」(「直れ」は豊作の意味)、あるいは「スク魚寄(なよ)れ」の意味だと解する。

 このシヌグの由来がひとつ。もうひとつ、シヌグの語源については、「しのくる」(踊る)というおもろ語と関係があるとして、祭りの際の奔放な踊り、「男女の性的昂奮を爆発させるもの」ですらある踊りに結びつけている。ここでは、シヌグの語源として言われている男神シヌグクや「凌ぐ」という仮説は退けられることになる。

 そしてもうひとつ。シヌグとウンジャミはどちらが先かという議論があるが、小野重朗は、

 シヌグ   山 山の他界神 男性社会
 ウンジャミ 海 ニレーの神 女性社会

 と対比させ、シヌグの方が原始的で古風であるとしている。これについても、谷川は自説を挙げる。

 しかし私から見ればそのような二元的な対立の図式ははじめから想定する必要はないのであって、スクととるときの男性の漁撈とスクの到来を祈願する女の神役とが一体となって作り上げた祭りがまずあった。それがシヌグとウンジャミの二つの祭に分化したものと考えればよいのである。(『南島文学発生論』p.406)

 また、その時期についても、久米島でスク祭がとりやめになり、沖縄本島でもシヌグが禁止された十八世紀初頭と仮説している。

スクの到来とそれを祝福する若い男女の奔放な踊りが見られなくなり、それにかわって神女たちが海の彼方のニライカナイの神を迎え送るウンジャミの形式が育っていったのであろう。のちにシヌグが復活しても、ウンジャミを補完するために山の神を祀る男性集団の祭へと変貌転化を余儀なくされたと私は考える(『南島文学発生論』p.406)。

 というわけだ。

 これを最初に読んだ21年前、五穀豊穣の予祝の形を取っているシヌグとスクを結びつけること、また、語源を男女の交流を含んだ「踊り」に求めていることが両方とも荒唐無稽に思えて驚いた。また、谷川の断定的な論の運びにも違和感を覚え反発した。

 しかし、シヌグのない徳之島で育った松山光秀もスクの到来と稲作儀礼が深く関わっていると『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ 』)で読み、谷川の説は印象を変えた。

 松山によれば、スクは稚魚、親魚の区別どころではなく、「シュク→モハン→ワタブタ→アイヌックヮ→フルアイヌックヮ」と五段階もある。この細やかな観察は、スクの重要性をさらに強調するものだが、徳和瀬では、古くはノロによってフウゴモイと呼ばれる潮溜りで、スクの捕り始めの儀礼が執り行われていた。そしてその近くのユウムチゴモイで夏の折目の祭りの心臓部がある。「夏の折目の祭り」は徳之島版のシヌグのことだ。

このような重要な祭祀場の一角にシュクの捕り始めの儀礼の行われるフウゴモイがセットする形で設定されていたことに注目したい(『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ 』p.54。)

 これは結果的に谷川と同じ着眼だ。かつ、谷川以上に深部から捉えたもののように映る。スクナーレの語義から接近する谷川に対して、松山は五穀豊穣の予祝との接点も見据えているからだ。

水稲文化は人々の目に見えるシュクの寄りという自然現象の媒介によって、はるか彼方のネィラと結ばれていたと言えよう。人々の夢がふくらんでいったのも無理からぬことだと考えられる(『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ 』p.55)。

 谷川と交錯するのはこれに止まらない。「踊り」についても。

人々の喜びが爆発するのは旧六月中旬のカノエの日柄に執り行われる稔りの稲穂の刈取り始めの儀礼、シキュマの日だ。ワクサイからの解放感も手伝って、人々の喜びは最高潮に達したという。この日の前夜、人々は集落内の祭りの広場で夜を徹して踊り狂った(『徳之島の民俗〈1〉シマのこころ 』p.58)。

 ここでも「爆発」、である。松山はシヌグについて考察しているわけではないから、語源を考えているのではないのだが、谷川の「しのくる」からの語源の導きを問わず語りに助けている格好だ。こう来ると、かつて荒唐無稽に思えた、「踊り」がシヌグの語源だとする仮説も説得性を帯びてくる。ただし、男神シヌグクを語源とする仮説も捨てがたいものがある。シヌグという名称で呼ばれる祭りの分布にはアマミク勢力の南下の進路を伺わせるものがあるからだ。

 シヌグとウンジャミの発生については、谷川のように二元的に考える必要はなく、同一の起源をもつと捉えるのが妥当だと思える。



 

 それにしても、稚魚、親魚の区別、徳之島では五段階もあるスクの呼称について、与論ではイューガマとたったひとつの呼び名しかないのは、以前も何回か書いたけれど(「イューガマの謎」)、不思議でならない。

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コメント

 "シヌグとウンジャミは同一起源" との見方は妥当だと思いますよ。

 もともとの祭り(アマミキヨ祭みたいな。。)が分化したのはいつ頃かはわかりませんが、沖縄諸島では両方が存在し、沖永良部&与論ではシヌグが残っていたことを考えると、アマミキヨが来島しなくなって以降かもしれません。

 また、この祭りでの踊りは「しのくる」ものだったとも言えるわけで、男女の接合を表現するシーンもあったでしょうけど、島々に残る奇祭に手がかりがあるのでしょう。

 それと、これらの祭りや「スク」のやって来る節目は重要だったはずですから、奄美大島秋名で同日に行なわれる「ショチュガマ/平瀬マンカイ」は「シヌグ/ウンジャミ」の起源を知るのに参考になるかもしれません。
 奄美大島西海岸の「マンカイ」は、たぶん「ウマンカイ(こちらへ)」と神々を招き寄せているんじゃないでしょうかね。
 沖縄諸島で仕事を終えたアマミキヨ達は、与論〜沖永良部〜徳之島から与路島請島の間を通過して、加計呂麻北部〜大島西海岸沿いに北上帰郷したと考えたいわけです。
 旧暦8月の「八月踊り」はそんな季節じゃないでしょうかね。

投稿: 琉球松 | 2012/01/07 17:13

琉球松さん、コメントありがとうございます。

そうか。「八月踊り」には、「しのくる」の「爆発」の片鱗が残っていますね、確かに。

「ショチュガマ/平瀬マンカイ」もそうですが、シヌグとひとくちに言っても祭儀の内容の多様性というか、統一されてない様を面白く思います。

いつもたくさんのヒントをありがとうございます。アマミキヨの帰還というテーマ、楽しいですね。

投稿: 喜山 | 2012/01/08 10:34

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