ハジピキパンタの威容
12月23日午前、島の創世神話に名高いハジピキパンタに出かけた。先月、歴史遺跡として見学が可能なようにだろう、樹々の伐採が行われたのを知り(ハジピキパンタ「さすらいの風来簿」)、足を運んでみることにしたのだ。ここはこれまで気になりながらも定かな位置が分からず、見ず仕舞いだった。もっと言えば、丘の上に岩がひとつある程度という貧しい想像力しか持ち合わせていなかった。
しかし、その全容を見るに及んで、創世神話の場に相応しい威容を誇っていることが分かった。
ハジピキパンタは島の中央部の高台に位置している。ここは与論島の創世にまつわる神話の場所として名称だけはよく知られている(cf.『与論島の生活と伝承(1984年)』など)。神話によれば、アマミクとシニグクの姉弟神が、舟で魚取りをしようとした際、舟の舵が浅瀬に引っかかり、それが見るみる盛り上がって島になった。やがてミーラ嶽が続きそれが繋がって与論の島は産まれた。つまり、ハジピキパンタとは、舵引きの丘という意味になる。
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「ハジピキパンタ」(さすらいの風来簿)のおかげで、ここは岩がいくつか連なっていることは分かっていたが、それどころではない渓谷と呼びたくなるような規模を持っていた。渓谷の谷間の南の端の断崖はガジュマルの根が幾重にも降り、ウガンとしての意味を持っただろうことが想像される。そこから南へ数十メートル、谷間は続く。谷間の東側の岩は中ほどで最も盛り上がり、舵を引っかけたと指定されるべき珊瑚岩も予想がついた。ただの小さな岩ではない。初期島人が一定期間、ここを居場所としたとしてもおかしくない広さもある。
島の最高峰のある城(グスク)ではなく、ハジピキパンタが島産みの場所として神話に指定されているのは、あることを物語る。それは、この神話を作った勢力が島の北から上陸し、この地まで辿りついたということだ。島の四方の海が見渡せるこの地に立つと、それは俄然リアリティを放ってくる。また、この島が珊瑚礁の隆起によって成り立っていることもハジピキパンタは明かしている。ぼくは神話やシニグ祭の構造に接近する足場を得たようで、心踊る想いだった。
それはこれからの課題なのだけれど、もうひとつ差し迫った課題もある。それは、この手の歴史的場所の扱い方だ。歴史的遺跡は、「開発」ではなく「手入れ」が必要だということだ。画像に収めたくなくてなるべく入れてないが、ハジピキパンタの樹々は無残なまでに伐採されていた。根を張り巡らせたガジュマルの木も刈られて見る影もない。これはハジピキパンタに対して、農地や住宅として整地するのと同じ、開発するという発想で臨んでいることを意味している。これでは、初期島人が体感したであろう精霊の宿る聖域としての力は失われてしまう他ない。巨岩と巨木は精霊の降りる場所として最初の信仰の対象になるものであり、それは人類に普遍的なあり方だ。今後、不用意なコンクリートの流し込みや不似合いな看板の設置が行われないことを望みたい。せめて、ハジピキパンタの価値を理解する人々との協議のもと、名所としての手入れを行ってほしい。
(パンタの北の端。ガジュマルの根が降りる。ここはウガンとしての場所だったと思う)
(パンタの南側の眺め。谷間、東側、西側岩上から)
(ここが、舵の引っかかった珊瑚岩というのがぼくたちの見立て)
(ハジピキパンタ内、パンタの東側沿いには蘇鉄の群生が見られる。与論に蘇鉄が植栽が始まるのが1682年だから、17世紀以降も生活圏の中にここがあったことが分かる)
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コメント
この光景は、アマミキヨが創ったとされる沖縄島北端の聖地「安須森」を彷彿させます。
こういう降臨聖地は、ほとんど全ての島にあったはずで、与論のそれはこの地なのでしょうね。
「ハジピキパンタ」にまつわる伝承は、アマミキヨ巨人伝説の反映と考えられますが、しかし、もともとは航海安全の聖地ではないでしょうか?
『おもろさうし』にも見える、喜界島のノロの首里への航海の途中に、与論の神の加護を期待していた光景が目に浮かびます。
とすると、与論の古名「カエフタ」は "櫂の村(シマ)" との解釈が可能になりそうです? 「安須森」同様に船上からこの地に手を合わせて祈ってたでしょうか。
投稿: 琉球松 | 2011/12/26 12:31
おはようございます。
城跡周辺の伐採をしたときに、ちょっと提案すればよかったと悔やまれます。
まさか 舵引きまでは予想してませんでした。
按司根津栄神社関連遺跡は皆伐採は避けたいものだと思います。
文化財審議会の意見を伺いたいものだと、兼ねてから思っていましたが、
とても言い出せる雰囲気や気持ちにはなれません。
歴史発見の 根本的な物の見方 考え方・・、その他。
識者のご指導を お願いしたい。
郷土研究会員の一人として 何か 淋しい。
シニグとウンジャミについては マニュさんと もっとつっこんで研究したい。 僕に 現地案内させて下さい。 聞きたい見たい物件が 多数あります。
投稿: 泡 盛窪 | 2011/12/27 04:41
> 琉球松さん
与論では、巨人伝説の方はあまり知られていません。「安須森」、行ってみたいですね。
「航海安全の聖地」はある時からそうだったとは考えられます。「"櫂の村(シマ)」という解釈はとても魅力的です。
> 盛窪さん
全部伐採か、全部残すか、ではなく、残す部分を決める過程があったらよかったのでしょうね。
シニグとウンジャミ、ぼくももっと知りたいです。よろしくお願いします。
投稿: 喜山 | 2011/12/28 09:26