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2011/10/02

秋と場面の転換

 これが秋なのか。冷凍庫を空けた時のような冷やっとした空気のかたまりが身体を包んですっと通り過ぎて行った。島じゃ冬だね、と与宇はつぶやく。初めての東京の夏は節電の夏だった。職場でも空調の温度は数度上げられていて、同僚たちは暑いあついと殊更のように繰り返していた。でも暑さに身体を馴染ませるのに慣れていた与宇はさして苦にならなかった。ちょうどいいんじゃね、とまではいかなくても、わざわざ口にするほどのことではなかった。その節電の夏が終わったのと分かったのは、ニュースではなく朝の電車に乗り込んだ時だった。冷たい空気が上から流れてきて驚いていると、車内アナウンスが節電は終わりましたと告げたのだ。節電のままでよかったのに、と与宇はつぶやいた。ツイッターにもそう投稿しようと書きかけたが止めた。節電は美徳という意味に取られてしまうかもしれないと思ったのだ。

 空は澄み、その前を遮るビルは磨かれた銀のように輝いていた。故郷の島の東海上でしばらく管を巻いた後、上京するときの飛行機の空路のようにまっすぐ本州を目指して東北に抜けて行った台風が東京の空気を洗っていったのはほんの少し前のことだったけれど、その直後の、あの空とまっすぐにつながっているような大気のままでいるみたいだ。ロウキー君は秋を運んできたね。でも与宇には、節電に段落をつけてやってきた冷たい空気が季節の移り変わりではなく場面の転換のように思えた。舞台の幕が降りて再び上がるように、CMの間、余韻に浸っていると次には別の場面が現れるように、本の章が新しい頁と題で始まるように。ロウキー君は幕を上げていったのかもしれない、いや幕はとっくに上がって次の場面になっていることに気づきなさいと言っているのかもしれない。

 空と街は澄んでその本来の色を伝えようとしているのに、与宇の目にはこのところ世界がモノクロに映るような気がしてならなかった。それが彼女にとっての場面転換の印だった。目がおかしくなったわけでも、失恋したわけでもない。スキーター・デイビスの「The end of the world」みたいだと与宇は思った。

 Don’t they know it’s the end of the world.

 その古い曲を与宇は母がよく口ずさんでいたので知っていた。最近になってふと思い出してYouTubeで検索して、歌い手の名前と風貌を知った。スロウなテンポなので、与宇はサビの部分の歌詞を島にいる時から辿ることができた。意味が掴めてからは、母が歌うたびに、単にこの曲が好きなのか思い出に浸っているのか、どちらだろうとよく思ったけれど尋ねたことはなかった。世界は終わったのにどうしてみんな気づかないんだろう。モノクロの世界が与宇に告げるのはそんな感覚だった。

 いけない、と与宇は思い返す。現実世界に踏みとどまらなきゃ。まして、上京したての一年目。島の感覚を引きずり過ぎているのに違いない。だって何事も無かったかのように周りの世界は動いているじゃない、と。このところ携帯に届くメールの数が減っている。まるでみんなで申し合わせて与宇にコンタクトを取らないようにしているみたいに。トントン、静粛に。今後、与宇へのメールを禁ずる。どこかで裁判官がそう宣告するのだ。それで現実感が薄れているのかもしれない。とにかく現実の世界にいなきゃ。毎朝、それを言い聞かせるが、その効果ではなく、仲良くなった同僚に会うと、そこだけ色がつくのでなんとかやり過ごすことができていた。

 与宇は、高橋商事という名前の、でもその実、商社ではない街の小さな不動産屋に勤めていた。東京にいる親戚が口を聞いてくれて、たまたま欠員の出たところになんとか入らせてもらったのだ。高橋商事。まったく冴えない名前だ。少なくとも好きな子ができたときに、自己紹介で女の子が口にしたくなる名前ではない。与宇といいます。高橋商事という不動産屋さんに勤めています。そう口にしても相手には何の印象も残らないだろう。でもそれは異性を気にした時のことであって、ふだんは社名が気になるわけではなかった。冴えない感じでいいとすら思った。むしろ、相手に引っかかるのは名前の方だ。「よー、さんですか?」とよく聞かれる。母が与論島の宇和寺という字の出身で、その頭文字二つを採ってつけた名前なのだ。はい、よー、です、と彼女は答えながら、次は、どんな字を書くんですか?と聞かれるのを待つ。そういう時、一青窈がいてよかったと与宇は思う。少なくとも、初めて聞く名前です、とは言われなくて済む。奇異な印象は少しは和らぐだろう。

 与宇は自分の名前に馴染めなかったけどそこは付き合いも長いからいいとして、東京での生活(島の外と言ったほうがいいのかもしれない)に慣れないものを数多く抱えていた。彼女はそれを暇があると書きだして、慣れないものリストと名付けるべきか、慣れなきゃいけないものリストと名付けるべきか迷うのだった。電車の乗り込みは脅威だった。駆け込んだりおしくら饅頭みたいにしている人を見ると、めまいがしてくる。そんな時は、「ハナミズキ」の、「どうぞ行きなさい。お先に行きなさい」を頭でリフレインして正気を保とうとする。もっとも、朝の混雑時に思いだすような曲もでないのだけれど。ホームに立つと、黄色い線の内側にお下がりください、とアナウンスがある。与宇はどうしても、その内側が、ホームの端と黄色い線の数十センチの幅の側のように思い込む錯覚を一いち取り払った。コンビニでビールを買うと、「年齢確認が必要な商品です」と、レジ機がいう。これには余裕があって、「あのぅ、確認しなくていいんですか?」とつい、言いそうになるのを押しとどめる。そんなちっちゃな挑発をして大人を怒らせるのを繰り返してきたから。コンビニの棚に並んでいる雑誌の表紙に踊るキャリアやモチベーションという言葉も与宇を驚かせた。いったい何のことだろうと思って紙面をめくるが読む気にはなれない。なんだかただならない緊張感が漂っているのを感じただけだ。

 与宇は少し前に図書館で見かけた『リトル・ピープルの時代』という本を思いだした。分厚かった。中身も気難しい男性が読むもので女の子が読む本じゃない。でも、村上春樹の『1Q84』から採っているのは、読んでいたから察しがつくし、表紙の仮面ライダーの写真も気になってめくってみた。読むのは数頁で断念したが、冒頭の要約で本の趣旨は分かったつもりになれた。絶対的な正義を提示するビッグ・ブラザーの時代は終わって、小さなビッグ・ブラザーたちが正義を巡って闘い続けるリトル・ピープルの時代になった、とそう言っているようだった。『ワン・ピース』でドンキホーテ・ドフラミンゴが叫ぶ「勝者だけが正義だ!」のまんまじゃない。どうりで、アメリカはのさばるはずだし水戸黄門は終わるわけよね。島にいる時、祖母の指定番組だったので、「水戸黄門」は欠かさず観た。観ざるをえなかった。番組の最後、格さんだか助さんだかが、「この紋所が目に入らぬか」という所になると、祖母が必ず手を叩いて喜ぶのだった。退屈な番組だったが、与宇も最後の場面はすかっとした気分になるのだった。そうか、あの紋所はもう無いってことなんだね。そう、与宇は思って、「この紋所が目に入らぬか」と決めた後、「あれ、ない」と慌てている格さんだか助さんだかを想像して一人笑いした。

 笑うと少し気が楽になった。モノクロに見えるのは、リトル・ピープルの時代にいるからだろうか。そんな気もするしそうではない気もする。いや、そうには違いないけど、それだけではない。その言い方の方が合ってる気がする。かえるくん。ふと与宇は思う。村上春樹の「かえるくん、東京を救う」で、かえるくんは、地底深くに潜むみみずくんと闘って東京の地震を回避する。少なくとも今は東京を巨大な地震は襲っていないけれど、北の方でみみずくんは暴れてしまった。それに地底だけじゃなかった。地底のみみずくんと海のみみずくんと空のみみずくんが暴れ、特に空のみみずくんは末代まで暴れ止まないと言われている。与宇はぞっとした。せっかく東京に来たと思ったら空のみみずくんの暴力の危険に晒されるなんて。空のみみずくんは目にも見えない小さな粒で人の骨も簡単に通過してしまう。それがいつか身体を破壊してしまうかもしれないというのだ。与宇は、それは気づかないうちに溜めこむストレスみたいだなだと思った。紋所の無い世界でつばぜり合いを繰り広げる矮小なビッグ・ブラザーもどきたちにうんざりするのと同じだな。だからモノクロに見えるのかな。でも、空のみみずくんはそれどころの騒ぎではない。かえるくんは大変だなと思う。

 かえるくん。与宇はそう声に出してみる。声に出してみたら、別のかえるくんのことを思い出す。アーノルド・ローベルの『ふたりはきょうも』という絵本だ。しっかり者のかえるくんとおっちょこちょいのがまくんが遊んだり喧嘩したりしながら仲良くなっていく物語だ。母がよく読んで聞かせてくれたので覚えているが、大きくなってからも、読み応えのあるすごい絵本だと思ってきた。辛いことがある時に読み返すと、自然に心があったまってくるのを感じた。ひょっとしたら、がまくんと遊んでいたかえるくんが、大きくなってみみずくんと闘うことになったのかもしれない。

 色が欲しい、と与宇は思った。そう思ったら動かずにはいられなくなって、都心の百貨店に向かった。百貨店もまた慣れないものリストの、でも、軽い方にランクインにしていた。エレベーターで婦人服売場に行くと、フロアガイドで目当ての売場を目指した。行き先はアニエス・ベイと決めていた。社会人を東京で経験した母が、バブルの頃流行ってて好きだったと言っていたブランドだ。与宇はアニエス・ベイを母が持っていたワン・ピース一着しか知らなかったが、他のブランドもほとんど知らないので、それでいいと思った。こんなきらびやかな世界を物色して回ったら気が遠くなるに違いないという怖れもあった。アニエス・ベイは今の流行りなのかどうかは知らない。けれど売場はあったからまだがんばっているのだろう。幸運なことに、すぐにひとつのディスプレイに目が止まった。小さな花をまぶした淡い青のシャツときめの細かな濃い目の緑のカーディガンだ。シャツの青は島の海に比べてずいぶん淡かったがカーディガンの緑は雨あがりの月桃の葉を思い出させた。ご試着されますか?と品のいいお姉さんが声をかけてきて、言われるがままに袖を通してみる。鏡に映る自分は自分じゃないみたいで、気恥かしくて正視できない。お似合いですね、という声も聞き逃してしまいそうになるくらい頭がぼーっとした。頬が赤らむのが分かったが、どうすることもできず、これをお願いします、と言ってしまった。後悔が過ぎったわけではなかった。むしろ色つきの自分が嬉しかったのだ。東京に来たての社会人一年生が着る服じゃないのかもしれない。でも与宇はお金をあまり使わなかったし、というより使い方を知らないしこれくらいは奮発しても大丈夫だろうと思った。色が欲しい気持は抑えられなかった。

 やっぱり、慣れなきゃいけないものリストは却下で、慣れないものリストと命名しよう。冴えない社名はそれでいい。キャリアもモチベーションも自分の言葉にしなくていい。これって、島の人だからかな、と与宇は思う。小さい頃、どうして島にはTVに出てくるようなモノがないの?と聞いたことがあった。母は、「ここはおこぼれが最後に回ってくるところなの」と言った。母は子どもに言うには難しい言葉で、でも淡々と語ったので、それが諦めなのか憤りなのか分からなかった。けれど、結婚と同時に東京を引き上げて、島に帰り、やれ商品開発だ島起こしだとあれこれ手を出す母を与宇は気に入っていた。格好いいとすら思っているかもしれない。あ、でも、と与宇は思う。百貨店は慣れたいものリストに入れておこう。

 アニエス・ベイのシャツとカーディガンのおかげで自分に色がついた気はしてきた。でも、肝心なのは自分の見る世界が色を持つことだ。できれば、鮮やかに。東北、と与宇は思った。

(もちろんフィクション)
 
 

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