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2011/03/01

「かゐふた」とは与論島のこと

 また棚からぼた餅的知見なのだが、おもろに書かれる与論島の古名「かゐふた」について、さらりと触れられている。「かゐふた」の「ふた」は部落・集落のことである、と。

 ところで、「ふた」という言葉が用いられる場所は、この我謝杜のほかに、与論島、安須杜、新城(粟国か渡名喜?)である。それに加えて、「ふた(部落)」に名の轟く国王が謳われる。この用例は決して恣意的なものではないはずであり、安須杜が国土創世の最初の場所であることを考えれば、これら『おもろさうし』に「ふた」の名で現れる土地は、「あまみやふた」「しねりやふた」と等価ではないにしても、それに匹敵する意味を持つ土地ではないかと思われる。

 つまり琉球王国にとっての「始原の土地」としての意味があるのではないかということである。ことに、与論島は琉球王国の成立に深くかかわっているのかもしれない。それは、その北隣にある沖永良部島を念頭に置いてのことである。沖永良部島は倭寇の牧としての性格を持っていたと考えられる場所であり、しかもおもろのなかでは八幡神にかかわりの深い「月しろ」が謡われるのである。辺戸安須杜に伝わる「島渡りのウムイ」のなかで、この部落の祖先は沖永良部島から与論島を経てやって来た人々だと謡うことの意味は重要である。(『琉球王国誕生―奄美諸島史から』吉成直樹、福寛美、2007年)

 貝の蓋みたいに平べったいと冗談めかした意味解きしかできてこなかったので、「ふた」が部落・集落の意味という解説だけでも収穫というものだ。残るは、「かゐ」。何かの集落と言いたいわけだ。

 しかし、解説によれば、「ふた」名がつく地名は重要で、琉球王国にとって始原的な意味を持ったのではないかという指摘がされている。ぼくは戸惑うばかりなのだが、仮にある確かなことが言われているとして、ぼくたちは与論の何にそれを求めればいいだろう。それは、記録を残さぬ倭寇よろしく消えてしまったと見なせばよいのか、現にあるたとえば、ニッチェー・サークラなどに関与を見ればいいのだろうか。たとえば、沖永良部から与論を経て辺戸へ伝わるという伝承や古謡はないだろうか。想像はめぐる。

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コメント

 「フタ」が集落を表すとすれば、沖縄島北部の「クダ」と繋がるはずです。沖縄北方言(与論&沖永良部を含む場合)の「フ・ク」は、ほとんど同音と考えていいと思いますね。


以下、『沖縄古語大辞典(角川書店)1995 』より

ふた・・・血縁集団による古代村落。「こだ・くだ」のk音がh音に変化した形。***

こだ・・・同一血縁団体。古代集落の名称に対して、「かみやこだ」のように村落名の一部ともなる。奄美諸島から沖縄諸島にかけて、クダ、フタが分布している。こだ〜くだ〜ふた、という音変化をたどる。対語「まきょ」***

投稿: 琉球松 | 2011/03/02 22:04

琉球松さん

解き明かしようがないと思っていましたが、クダという言葉があるなら、フタへの転訛はありえますね。教えてくれてありがとうございます。

まきょの対語でもあるのか・・・、そっか。

投稿: 喜山 | 2011/03/06 21:03

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