サークラの分布
『与論島―琉球の原風景が残る島』をもとに、各サークラの分布図を概観してみる。数少ない与論の書物を読みながら、サークラのことになると、位置関係が分かっていないので、ちんぷんかんぷんになってしまうのだ。
まず、高橋・竹は、サークラを4系統に分けている。
1.ショウ(ショウ・キン・サキマ)
・与論に最も早く定住したと言われるグループ。
2.プカナ・サトゥヌシ
・プカナ、サトゥヌシが、ショウより遅れて定着したことは確からしいが、ニッチェーより先なのかどうかは不明なところがあるが、両者は近接し移住地も似ていることから、類似した集団として整理。
3.ニッチェー(ニッチェー、プサトゥ、ユンクトゥ、クルパナ)
・ショウに対して後住であるが、プカナ・サトゥヌシに対する居住・移住の関係からみて、さらに後ではないかと推定。プサトゥ、ユンクトゥ、クルパナはニッチェーからのわかれサークラではなく、独立。
4.グスクマ(グスクマ、メーダ、ホーチ、クチピャー、ミーラ、伊伝、供利、金久、トゥマイ)
・1,2,3の後のグループ。グスクマ、メーダ、クチピャー、ミーラは城周辺。伊伝、供利、金久、トゥマイは、西へ展開。
<注>
・クルパナ、プサトゥ、ユンクトゥは、北部に独立してあるのではなく、サトゥ地区のなかにあるが、移住先のみ記入。
・ティラサキは、本にないのだが、かつてはあったものとして記入。
・円の大きさは、もとのサークラグループと移住先で大小の二種類にしているが、ニッチェーだけは移住先の密度が高く、勢いやや大きくしてしまった。
ここに竹内浩のシニグにおける合同祭事の知見を重ねてみる。
◇合同祭事1.ショウ、キン、サキマ
2.ニッチェー、スーマ(サトゥヌシ)、フカナ
3.ユントゥク、プサト
・クルパナに対し、ムッケーサークラ(ターヤパンタで迎える)4.メーダ、グスクマ
・ティラサキに対し、ムッケーサークラ(ターヤパンタで迎える)5.ホーチ、クチピャー
すると、ショウのグループは、居住・移住と合同祭事について矛盾がないのに対して、ニッチェーは、居住・移住の同一性からいえば、別系統と分類されるプカナ、サトゥヌシと合同祭事を行っている点が特徴的である。また、ニッチェーと同じグループに入るとされるプサトゥ、ユンクトゥ、クルパナは合同祭事を行っている。グスクマのグループについては居住・移住と合同祭事について矛盾がない。
ニッチェーは、その前と後のサークラに対して独特の位相を持っている。各サークラを歴史の時間の流れに置き換えてみると、ニッチェーは、アージ・ニッチェーの伝承の通り、按司の時代を象徴すると思われる。
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コメント
はようござます。
整理してくれて ありがとう。
図解すると わかり易いですね。
私も やりたかったのですが
このように 明示できるまでに至っていませんでした。
クルパナには ニッチエーが少しからむようであるが、
そうなった 経緯が知りたい。
この頃から 里シニグが出来たのではなかろうか・・?
権力、土地所有、本家スジと分家。 本妻、後妻・・。
家督相続の関係は重要視されたし・・。
投稿: あわ | 2011/03/03 05:57