カミミチの経路と創世神話の同一性
竹内は、シヌグにおけるカミミチの経路と創世神話の同一性に着目している。
このティラサキサークラのカミミチの経路は、何故か前章で述べた与論の創世神話「シマヌカミヌパナシ」の島ができるまでの話とよく似ている。「シマヌカミヌパナシ」は、最初にできた東方のハジピキパンタと後でできたミーラダキがつながって与論の島はできた。というところで終わっているが、これにはまだ続き談があって、アマミクとシニグクの二人は最初の頃、ハジピキパンタに家を建てて住んだが、風あたりが悪く、生活するのに適さなかったので、クニガキに移り、さらにフカナに移って住みついた。というのである。(中略)創世神話のこの話は、さきに述べたティラサキサークラの人たちが、ティラサキを出発してから、ハジピキパンタを経由して、ミーラの一画にあるサトゥのターヤパンタに至るカミミチの経路と全く同じである。(『辺戸岬から与論島が見える<改訂版>』竹内浩、2009年)
カミミチは、ウガンから目的地まで最短経路を取るわけではなく迂回しており、それが厳格に守られることからも、経路そのものに意味があり、居住の変遷を記憶したものだと受け取ることができるが、竹内はさらに、与論の神話において創世神が辿る経路と全く同一であることから、ティラサキウガンから来た人々によって創世神話も作られたのではないかとしている。
この、カミミチと創世神話の同一性はとても面白い。ここには、神話がただの作り話ではなく、伝承として島人の記憶を封じ込めたものであり、支配勢力によって既存の民話を包含させたものであるという構造が見やすい形で提示されているのではないだろうか。
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