安田と与論のシヌグ
小野重朗は、与論のシヌグと沖縄安田のそれを比較している(「与論島のシヌグとウンジャミ」1974年)。
沖縄安田のシヌグ。
・部落のアシャギが清められ、アシャギマーという庭にシヌグ旗が立てられる。
・午後、部落の男たちは、三つの山に分かれて登る。北のササ、西のメーバ、南のヤマナス。
山中で男たちは半裸の上にワラのガンシナ(鉢巻状の輪)と帯をし、それに山のシイなどの木の枝や羊歯の葉をさして頭から身体まで緑の葉で被う。特に頭にはその頃に赤い総状の実をつけるミーハンチャ(和名ゴンズイ)の枝をさして飾る。身の丈より高い木の柴枝をもつ。扮装を終ると列を作って山に向かって坐り、太鼓を合図に山の方を拝み、次は反対側に向いて海の方を拝む。次には円陣を作り、回りながら、木の柴枝で強く地面を叩き「スクナーレー、スクナーレー」と唱える。これで山の行事は終り、メーバー山からの太鼓の合図で、三つの山から同時に出発し列を作って山を下る。先頭に太鼓打ち、それから小さい子供を前に順に列を作って、「エーヘーホー」と唱えながら山を下る。
・山を下ったところで、主婦たち酒などの飲み物を用意してサカンケー(坂迎え)を行う。
・サカンケーの後、三つの列はアシャギ近くに集まっている女性たちを左回りにまわりながら、エーヘーホーを唱えながら、一回りすると合い図で、手に持っていた柴枝を振り上げて人々の体を叩きあう。
・また回っては叩き、を三回繰り返す。
・次にアシャギの前に行き、男女の神役の人たちを同じように叩く。
・昔は、その次にそれぞれの家々をまわって叩きまわっていた。
・部落の東にある海辺に行き、山の方を向いて砂浜に座り、太鼓の合図で礼拝し、次に海に向かって礼拝する。
・それから。海に入り、身にまとっていたものや柴枝を流してしまう。
・流れ川に行って身をすすぐ。アシャギマーに戻る。
・午後四時ころ、アシャギとニードーマ(根所で火の神を祀る)とで供え物をし農年と部落の安全を祈る。
・「田草取り」「ヤーハリコー」「ウスデーク」。
小野は、与論のシヌグと比較して、「安田のシヌグはシヌグの古形をよく留めており、与論のシヌグは後次的な高度の展開を経た形をもつと言うことができよう」としている。
ひとくちに、それは、安田の方が農耕以前のシヌグの原型をよく保存しているということだ。与論のシヌグは、農耕祭儀に比重を移し、かつ島全体が関わる共同祭儀化している点で、為政者の関与を思わせる。
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