シヌグ類型の意味
小野重朗は、「与論島のシヌグとウンジャミ」(1974年)で、シヌグをグループとして「迎え」るものと祖霊神を「迎え」るものの二類型があるとして、どちらが古いかと問いを立てている。
(前略)AとBの二つの類型の相違点をみると、Aにはパルシヌグがあり、パンタ儀礼にそれを迎える行事があるのに対して、Bにはそれが欠けていることが明らかであり、その他の点についてはほとんど、あるいは全く同じであると言ってもよいであろう。AとBとが全体にわたって異同の点が交錯しているというのではなく、BはAの一部を欠除した形であるということは、その相違点であるパルシヌグがあり、それを迎える行事があるという部分はさほど古くない時代に消失したか、添加されたかどちらじゃであろうと考えさせる。消失したというのはAからBになったということであり、添加されたというのはBからAになったということである。事実はそのどちなのだろうか。私はAのパルシヌグとそれを迎える行事の部分が消失してBとなったものと思う。
小野に従えば、以前はどのサークラも、ティラサキ、クルパナのサークラ集団のように、「迎え」のパンタ儀礼を持っていたことになるが、これは問いそのものが抽象化の罠だと思う。与論はこの二つの類型が多数存在するほど、広大な面積もなければ人口もない。農耕技術の伝来が主に二集団であり、彼らとの交流をはじめに行った集団との間によって、「迎え」を包含したシヌグが形成されたとするのが自然な観方だと思う。
その余は、農耕以前の儀礼を色濃く含んだ先住者主体のグループと、農耕技術受容以降の人口と居住地拡大とによって生まれたグループで構成されている。
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