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2011/01/29

『奄美の歴史入門』-『名瀬市史』の現在形

 麓純雄の『奄美の歴史入門』は、奄美の歴史というよりは近代奄美の精神屈折の構造を大部に渡って展開した1963年の『名瀬市史』の現在形に当たっている。その核心は、冒頭に示される、

 「奄美はいつから『日本国』になったのでしょう?」

 という問いとその回答にある。

 それは歴史記述のあとの後段にやってくる。

 但し、政治的に日本という国が、4世紀にできた大和朝廷の勢力拡大で国が形成されていったとするなら、奄美が日本国に入るのは、厳密に言えば、明治時代からということになります。明治4(1871)年に廃藩置県が実施され、大まかには薩摩藩は鹿児島県になります。101ページにあるように、鹿児島県が「黒糖」の利益を離したくなかったため、明治12(1879)年4月に、奄美を「大島郡」として鹿児島県の一部にしてからです。

 奄美は、政治的には「日本」に入ってから、まだ130年しか経っていないのです。 (中略)

 “那覇世”は、琉球王国の支配下にあります。“大和世”も実質的には薩摩藩の支配を受けますが、建前は琉球王国領(63ページ参照)ということになります。

 ちょっとびっくりした感じになりますが、これは沖縄県も同じですし、北に目を向ければ、北海道もほとんど(江戸時代には最南部、今の函館市付近に松前藩があっただけ)の地域が同じことです。(43ページ参照)

 長い奄美の歴史の中で、「日本国」になったのは約130年前。“アメリカ世”となって、すばらしい盛り上がりやまとまりを見せた祖国復帰運動が約60年前とすれば、奄美はその当時、「日本国」になって70年しか経っていないことになります。

 また、こういうふうに考えれば、教科書で勉強している古代から平安時代頃までは、奈良や京都を中心とする近畿地方の一地方史という見方もできるのです。

 「国」という考えからすれば、奄美には、“奄美世”と“按司世”の頃は「国」という概念はありません。“那覇世”になって琉球王国に入り、明治時代になって「日本国」に入ったということです。

 このことは、奄美が自ら望み、自ら決定したというわけではありませんが、世界的には数多く見られることです。

 わたしたちは、6年生の社会科で「我が国の歴史」を勉強します。今は当然日本国の一部ですから、このような勉強をするのは当たり前のことですが、教科書は政治の中心地を主に記述しています。奄美には、教科書に出てこない歴史があることはふまえておかなければなりません。(『奄美の歴史入門』
麓純雄)

 これは解放感をもたらしてくれる認識だ。なにがなんでもいにしえから日本民族、日本国というモチーフへの固執を離れることができなかった『名瀬市史』からすれば、格段の進みゆきである。奄美の自分語りもようやく口にできるところまでやってきた。沖縄には「日本国に入って約130年」という認識はあるものの、奄美は覚束なかったのだ。そのことを思えば、『名瀬市史』から半世紀近く経て、ずいぶん遠くまで歩んできたことになる。

 この歩みを可能にしたのは、弓削政己を始めとする近年の史実発掘の努力に依るところが大きい。丹念なそしてたゆまぬ営為が奄美に「事実」をもたらしそれが部分的には実りを与えてくれた。奄美にとってそれは自らの欠如を埋めるために欠かせないものだ。

 ただ、それは同時に、ようやく何事かを考える場所に立てたということを意味するに過ぎないとも言いうる。『奄美の歴史入門』は、現在的知見に基づく奄美の史実を教えてくれるが、島人のぼくたちがそれをどのように受け止め、どのように語っていくかについて、示唆してくれるわけではないからだ。それは教科書的記述の限界でもあれば、教科書的記述の分というものでもある。著者がそれに配慮した言葉づかいをしているところもあるが、言葉はそこに回収されてはならない。空間的な関係への気遣いは「多角的」な視点と気脈を通じあい時間的な構造を抜け落ちさせ、歴史は予定調和的に平板なものと化していくのを避けられない。

 ぼくの主たる関心事から言えば、“奄美世”以前の奄美像と、歴史の関係の構造を浮かび上がらせることだ。それなしに、奄美の困難を乗り越えてゆくことは難しいと思えるからだ。


 この本で、いちばん印象的なのは引用した箇所の「ちょっとびっくりした感じ」というフレーズだった。


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コメント

ありがとう。
いつも 勉強になります。

おかげさまで ここのところ充実しています。
依存症を抜けきれる  と もっとまともな人間に
なりすませるのではないかと
色々考え考えしています。
多々の会合で 変な意見を述べて
問題児になっているようです。

情報を  これからもよろしく。

投稿: あわもりくぼ | 2011/01/30 05:55

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