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2011/01/30

『奄美の歴史入門』-「薩摩(鹿児島)と奄美の関係」

 もう少し微分しておきたい。ここは繊細に触れなければならないし、著者もそう取り扱っている。

 「薩摩(鹿児島)と奄美の関係」。

 ここで、薩摩(鹿児島)と奄美の関係について、確認しておきましょう。  一般的に、これまで奄美では、砂糖にだいひょうされるように、厳しい厳しい“大和世”よりも支配が緩やかだった“那覇世”の方がよかった、ととらえる考え方が多かったようです。「鹿児島は嫌い」という人も多いです。戦後の復帰運動の拒否理由として、「“大和世”に戻りたくない」という人もいた(134ページ参照)ほどです。明治時代には、島を離れた奄美出身者の行き先が、鹿児島方面よりも県外が6倍以上も多いという記録があります。これも、県外の仕事が多かったということもありますが、鹿児島に差別されてきたことと関係するのでしょう。おおまかに次のような理由からでしょう。

 ① 薩摩藩は、奄美を直轄地として実質的に植民地支配を行った。
 ② そのために、奄美を経済的にも文化的にも低い地域とみなした。
 ③ 明治以降の鹿児島県の一部となったため、鹿児島よりも低くみなされることが続いた。
 ④ 砂糖での利益をあげるため、厳しい生活を島民に強いた。

 確かにこういう面はありますが、薩摩藩が砂糖による蕃の利益を徹底的に追求し、奄美が地獄のようになっていくのは、幕末の4期の頃です。明治前期も同じようなことが続きますので、幕末・明治前期の約70年間は本当に奄美にとっては厳しい時代といえます。但し、“大和世”と明治前期では約300年間ありますので、300年を通して「薩摩の支配=地獄の支配」というわけではありません。“那覇世”と“大和世”とで、それぞれ派遣されてきた役人等の数を比べると、“大和世”の方が少ないのです。約300年のうち、約230年はあまり記憶に残らず、最後の約70年間の「薩摩に対する悪い印象」が、比較的時代も新しいため、人々に強烈な印象として語り継がれ、受け継がれてきたのでしょう。(『奄美の歴史入門』 麓純雄)

 ここには、強者が弱者を食らったまでのことという威圧も、昔のことをあげつらっても切りがないという頬かむりもない。奄美のことは奄美の内側から、まず語り始めなければならないという原則が貫かれていて、ぼくたちは安堵する。史実に則して事態を解釈しようとする真摯さも感じられる。

 けれど、歴史記述の誤解を解く作業が、こだわってばかりいても仕方がないという処世といつの間にかつながっている印象をぼくは持ってしまう。もっと事態の核心に触れてほしい。最後のくだり、「約70年間の「薩摩に対する悪い印象」が、比較的時代も新しいため、人々に強烈な印象として語り継がれ、受け継がれてきたのでしょう」というのは、とぼけた整理ではないだろうか。

 「最後の約70年間」は、一世紀近く前のことに属する。それなら苦難は著者の世代でいえば、祖父母たちなら濃厚な記憶として持ってきたことになるだろう。しかしそこに止まるなら、4~5世代目に移行している現在、おおらかで諦めのはやい島人のこと、「薩摩に対する悪い印象」は伝承としてしか残っていないのではないだろうか。この整理では、なぜ、「これまで奄美では」“大和世”よりも“那覇世”「の方がよかった、ととらえる考え方(これは「考え方」というより素朴な感覚というほどのものだと思う-引用者)が多かった」のか、「『鹿児島は嫌い』という人も多い」ことに、充分に答えることができないと思う。

 指摘が「砂糖」というモノに関する限り、モノが解決されれば問題は終わる。ここでの「確認」は、裏返せば、格差の課題が日増しに切実になっているとはいえ、明日の米を心配するといった絶対的な貧困からは脱することができたという現状を追認しているように見える。そしてそれは、ぼくたちの生活実感に合致する度合いに応じて、妥当な見解と見なされる基盤を持つのだ。

 しかし、「奄美は琉球ではない、薩摩(大和)でもない」と規定された二重の疎外というコトの問題は、解かれたわけではない。その関係の構造は残っていればこそ、「薩摩に対する悪い印象」が実感的であればこそ、「“大和世”よりも“那覇世”の方がよかった」という述懐も、「鹿児島は嫌い」という人もいなくなっていない。この本の最大の核心は、奄美が日本になってから約130年間と近代以降であると指摘したことであるが、もっと進めて、それならなぜ、沖縄では近代以降に日本に組み入れられたという認識は既知のものであるのに、奄美はそうではなかったのか、と問いを立てれば、ここに「二重の疎外」があり、どこでもないという関係の構造がことを見えにくくさせていると言うことができるのだ。

 この本が用いる「多角的」という視点は歴史を相対化する。ともすれば、「薩摩-奄美」という二項に囚われがちな思考枠のこわばりをほどいてくれる。けれどそれが、ぼくたちの処世である相対化の無限連鎖に連なれば、こぼれおちるものが生まれる。奄美は大変だった。薩摩も大変だった。日本だって大変だった。みんな大変だったんだよ、という処世の術に相対化の視点は合流しやすい。そこにぼくたちの諦念もあるが、同時に、ぼくたちはいつものように言葉を無くすのである。

 どこかはぐらかされた感じを持つのは、これが教科書的記述になっていることにも由来しているだろう。ただ、教科書として書かれたわけではないから、小学校の校長を経験した著者ゆえに引き寄せた筆致なのかもしれない。仮に教科書であれば配慮は必然化される。奄美の学校にも鹿児島からの移住者もいるから、子どもたちを歴史的な負荷を理由に傷つけてはならない。ただ、そうだとしてもことを隠す必要はなく、まして、実のところ教科書的記述であってもこれは教科書ではないのだ。残念なのは、現在的知見を取り入れるのは真っ当なことだとして、そのトレースに終始していることが、この本を教科書的記述に留めていることなのだ。ぼくはもっと、著者の肉声、著者自身の言葉を聞きたいと思った。


◇◆◇

※この本は、現在的知見を極力吸収し、易しい言葉で書かれたものとして、「奄美の歴史」を知る上では最良のものだということを付記しておきたい。

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コメント

 お見事。

残念なのは、現在的知見を取り入れるのは真っ当なことだとして、そのトレースに終始していることが、この本を教科書的記述に留めていることなのだ。ぼくはもっと、著者の肉声、著者自身の言葉を聞きたいと思った。

 与論でコンナことを言ったら、はじきだされそうだが、
そうだと うなずかないではいられない。

投稿: あわもり | 2011/01/31 04:10

面白いですね。

奄美のもつ「二重の疎外」についてはさらに考究の要を感ずる。
歴史を考えるとき、文書化された資料主義に偏向しないで、時代時代の空気というか情念に思いをいたし、そこに分け入る心だ大事と思う。

歴史はいつも新しい。

投稿: かわうちけいし | 2011/01/31 11:50

あわもりさん、かわうちけいしさん

コメントありがとうございます。
島の人がどう感じ、どう考えているかがいちばん気になることです。その胸の内に言葉を届かせたいというのが願いです。

投稿: 喜山 | 2011/01/31 22:09

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