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2010/09/21

与論島、2010年夏(2)

 8月24日から28日までの与論は、7月のときより涼しく、寝苦しさは全くなかった。もっともどちらにしても東京の寝苦しさに比べれば快適だった。こんどは角部屋で一面が真西を向いていて、朝の静かな礁湖や陽の沈みを眺めることができた。朝の海は深い青緑で、そこにさざ波がアクセントを幾重にも重ねて少し重たく感じる。けれど東から昇った太陽が光を西側の海に差し込むと、途端に緑が透き通って軽くなり、命が宿ったように輝きだす。それは日中、雲が風に流されて陽射しが戻るときもそうだ。透明度の高い海は、光が織り成す発色の舞台でもある。

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 ぼくはいつものように溜め息をつく。こんなに美しい島じゃなかったら、もう少し、ありていの、あるいは心揺さぶられることのない景色だったら、いつまで経っても止むことのない恋焦がれる気持ちにならずにすんだろうに。どこかに行きたいという欲求を全て回収するほどに生まれ島に執着することもなかったろうに、と。もちろんこれは身贔屓で世間知らずな想いで、この世界には与論よりも美しい島や場所はいくらでもあるだろう。けれど、こんな小さな島に生まれてしまった不思議は、ぼくを惹きつけて止むことがない。

 島はそれぞれに個性が強い。陸伝いではなく、海が隔てるということは島の独自性を育む。徳之島は勇ましく沖永良部島は勤勉で、与論はおっとりしている。よく言われることだし、島人に会えばそれがよく当たる占いのように符号するのが面白いくらいだが、今までは、それは島の地形とともに醸成されてきたものだと思ってきた。けれど、「道之島」と称されたように、辺戸岬からは与論島が見え、与論からは沖永良部島が見える。初期の島人は、漂着も多かったろうけれど、航海技術にも長けていたはずだ。すると、与論に着いた人が、沖永良部島や辺戸岬まで行こうとしなかったのにも理由が無くてはならない。そしてその理由のひとつには、この島でいい、この島がいい、という想いもあったのではないだろうか。そうだとしたら、島人の個性も、地形とともにという以前に、そこにとどまった人たちのなかに既に宿されていたのかもしれない。

 8月の与論も海三昧だった。三年前と同様、子どもたちが岩の上から海に飛び込んで遊んでいると、ウシヤカが釣りに連れて行ってくれるという。勇んで『めがね』海の寺崎に向かい、ローボートで浮上したリーフに向かった。子ども二人を乗せ、ウシヤカとぼくとでボートを漕いだ。目標の珊瑚岩を指さすと、ウシヤカは下の子に、あの岩に先頭が合っているか、右を強くか左を強くか教えてね、と言い、「もうちょっとこっち」という子どもの声に従いながら、ぼくたちは内海を漕いでいった。途中。ウシヤカは、「今度は何も言われなくても目標に合った漕ぎ方をするからね」と言ってしばし指示なしに漕いでみせたあと、「きみが、さっきその方向でいいと言ったとき、おじさんはそのとき見える浜辺の岩を見つけてね。それを目印に漕いでたんだよ。年を取るとね、そんな知恵がついてくるんだよ」と言うのだった。こんな言葉を多くもらえば、子どもは大人になりやすいに違いない。そのやりとりは珠玉の場面のように思えた。

 リーフまで二百メートルくらい。そのリーフも五十メートルくらいの幅があって、外海と内海を隔てている。そこで、荒々しい外海に向かって釣竿を投げ、大物を狙う組と内海で唐揚げの美味しいニーバイ(ハタ)を狙う組とに思いおもいに分かれて楽しんだ。そこで釣れた魚を持ち帰り、浜辺で焼いて食べるのが島の最高の愉しみ方だと、親戚の叔父は教えてくれたが、その通りだと思う。その日の収穫は夜のバーベキューの楽しみにして、浜辺ではウシヤカが亀の産卵場所を十か所ほど点検して、もうすぐ砂浜からアカウミガメの子が出てくるはずなのだが、とつぶやいた。ある日、海から上がると黒い塊が辺り一面を覆っていた。見ると、小亀たちだった、と。ぼくは民話のようにその話を聞いていた。

 相変わらずぼくは、iPhone を片手に、心動かされるものがあると立ち止まって撮った。朝の起きたばかりの海、すれすれに見ると空と溶け合っている透明な海、真っ赤な夕暮れ、なだらかな山の稜線のような木々の緑、島の主アマン。島は世界であり宇宙であるとぼくは思っているけれど、その与論バージョンの特徴は何だろう。島には山らしい山がなく視界を遮るものが少ない。いつも目の端に海を感じることができる。与論は島の小ささと低地との引き換えに、空であれ海であれ、全面をひとり占めすることができる。巨大な自然と直につながっていると感じられてくる。それが与論ならではの世界であり宇宙なのではないか。島尾敏雄が「不思議な広さ」と呼んだのはそのことではないかと思った。

 二回の滞在とも、オオゴマダラと出会うことができた。いつも思うのだけれど、あの優雅なゆったりした舞いが島の止まっていると思えるほどゆるやかな時間の流れを律しているように思えてくる。だからオオゴマダラが島から姿を消したときは、時間の流れが不安定になるのではないかという心もとない気持ちもやってきた。花と珊瑚の島を与論は自称しているけれど、蝶の島でもあってほしい。

 最後の夜だけ、育った家に泊まることができた。祖母の他界以来だから、五年ぶりのことだ。夕暮れになると、ヤモリの鳴き声が聞こえてくる。それを聞いて心の底から、帰ったんだなあと思う。ぼくにとってはヤモリの声は帰島の印であり合い図なのだ。夜は町議をしている親戚の叔父が訪ねてくれた。そこでもぼくはツイッターを勧めてその場で登録までしてしまった。二回の滞在の間に三人目である。町議の問題意識から聞く島の経済は重苦しいもので、先行きの不安を否応なく駆り立てられる。このままいけば何かが起こるという叔父の言葉が重くのしかかってくるのだ。叔父を見送ったら、なんだか怖くなった。叔父の話のことではない。それまで何も感じなかったのに、育った家も新築でこんもりガジュマルの茂る森のなかにあるわけでも無くなったのに。それでも、道筋を折れてくだってゆくと、少年の頃、家の明かりが見えるまでのほんの短い間、後ろが怖くて走りだしたくなった記憶が蘇って縮こまってしまった。風が強く雨も降りだし、これ以上なく安心できる場所にいるのに怖くて寝つけない、変な夜を過ごした。

 上の子を熱中症にさせてしまうという失敗もやらかしてしまった。けれど、子どもの看病で病院のベッド脇の椅子に寝たことと、下の子とカヌーで礁湖を漕ぎまわったのがいちばん幸せな時間だった。親戚の子たちとも戯れてかけがえのない時間を頂戴した。島との付き合い方はもう数十年、変わっていない。短い滞在期間のあいだを惜しむように堪能するだけだ。潮の匂いを嗅ぎ、潮風を浴び、陽射しによって変化する海の色に見とれ、星を仰ぎ、月光の世界の色に馴染み、夕闇のなかに引き込まれそうになり、島言葉の世界に浸った。できるだけ深く島の空気を吸い、島の海に浸っていたかった。そして心を置いたまま、身体を東京に運んでいる気がする。ぼくは東京に居ながらにして島にコミットできる方法を掴みかけてもいるのだけれど、当面はまだ未決のまま進むしかない。与論は船で発つつもりだった。沖縄島からの与論航路は経験があるが、与論から沖縄島へ船で渡ったことはない。ぼくは、あの北緯27度線を海上からまたいでみたかった。今帰仁へ行く予定を立てて、28日、曇り空のもと、フェリー波之上に乗り与論島を後にした。

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 [与論島、2010年夏。画像一覧]

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コメント

拝読させていただきました。
良い夏を過ごされましたね。また島を愛する気持ちがヒシヒシと伝わってきました。
文中に「こんな小さな島に生まれてしまった不思議は、ぼくを惹きつけて止むことがない」とありましたが、
私もそういう思いに囚われることがあります。
自分がこの場にいる不思議、自分の置かれている環境や出会った人はタダの偶然ではなくて、何か意味があるのではないかと考えたりします。
まあ私の場合は本当に小さな小さな一市民の領分しかないのですけどね(笑

投稿: sugimi | 2010/09/23 09:09

sugimiさん

コメントありがとうございます。ちょっと恥ずかしいですが、嬉しいです。

何か意味があるのではと思うなら、それはやっぱり意味があるんじゃないでしょうか。そう思わないと救いがないということもあるけど、やっぱりね。

今の環境もとてもよき人たちに囲まれて感謝しています。ペコリ。

投稿: 喜山 | 2010/09/23 09:55

 いいですね与論の風景、空気。。。沖縄島生まれの者にとっても与論島は宝ですよ。

 もう30年も前でしょうか。東京からの帰省の船旅で、奄美大島が見えた時には目頭を熱くしたことを思い出します(笑)。

 ところで、日本トランスオーシャン航空(南西航空)の機内誌『コーラルウェイ』の創刊号(1985)の表紙は与論でしたね。これがなかなか手に入らないんですよ。どなたかお持ちでないでしょうかね。

投稿: 琉球松 | 2010/09/24 10:31

>こんなに美しい島じゃなかったら、もう少し、ありていの、あるいは心揺さぶられることのない景色だったら、いつまで経っても止むことのない恋焦がれる気持ちにならずにすんだろうに。

島にたった一度しか行ったことがないわたしですら、そう感じます。喜山さんとは次元が違うとは思いますが。
旅に出たい、どこかへ行きたいと思うとき、すぐに思い浮かぶ場所です。
今度は別のところに行ったら・・・と言われますが。

その魅力、なんなのだろうと考えずにはいられません。


>この島でいい、この島がいい、という想い

この気持ち、いいですね。
つい、今の自分でいい、今の自分がいい。と読み変えてしまうのは、いい加減、本物の中に身を浸した方がいい頃なのかな^^

投稿: kemo | 2010/10/05 11:20

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