« 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」1 | トップページ | 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」3 »

2010/05/07

「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」2

 喜山荘一の『奄美自立論』は「奄美を語ることができない」という絶望的な心情から書かれた。同書は学術書ではなく,奄美出身者が自らの故郷について省察と発言を繰り返して得られた論考である。

 そう、これは学術書ではない。
 須山は「二重の疎外」について、

 A/Bという二項対立では,AでなければBである。すなわち琉球でないならば大和,大和でないならば琉球であるはずなのに,2つの否定が同時になされたために論理矛盾が生じた。その矛盾が顕現した地域が奄美である。「二重の疎外」の意味内容はこのようなことであろう。

 と、説明している。奄美の困難の核心はこの二重否定による空無にあると思える。一方これは政治的な規定であり、島人の生活からみれば、多層的に現れた。

 政治 薩摩
 宗教 琉球
 文化 琉球
 経済 薩摩/琉球
 自然 琉球(亜熱帯珊瑚礁として)

 このことが本土の人びとに理解されないこと,それ以上に自分たち奄美の人間がその歴史を知らなかったことが,喜山のいらだちを生んだものと思われる。その状況を説明するためには,いささかエキセントリックな言辞を弄する必要があったのであろう。レトリックに依存した論理の展開に無理を感じるものの,論理の行く先を見きわめたいという気分を,読者に抱かせる力量のある文章である。

 ときにエキセントリックなのは、必要からではなく切実だからである。それが言い訳めくとしたら、単に柄が悪いということだ(苦笑)。

 喜山の奄美論の背景には,薩摩に対する峻烈な怒りがある。そして怒りの対象としての薩摩を象徴するのが,歴史学者の原口虎雄である。原口は『名瀬市誌』全3巻を編纂し,奄美の姿を丹念に採集した研究者である(名瀬市誌編纂委員会1968,1971,1973)。その原口を喜山lは,薩摩的史観で奄美を睥睨したと批判する。蕃山の批判はあまりに先鋭で,原口に気の毒なくらいである。しかし,奄美が自分自身で語るすべをもたなかったことが,原口という薩摩人による語りを許したという点では同意できる。喜山は,奄美の自家製の語りが必要なのだという。そしてその語りの基盤に文化的共同体としての琉球を認め,「奄美は坑球である」というテーゼを復活させるべきであると主張する。

 エキセントリックさの極みは原口批判に現れているだろう。「気の毒なくらい」に見えることすら、言われなければぼくにはなかなか分からない。しかし、怒りが怒りである所以は、語る術を持たないことが「原口という薩摩人による語りを許した」からではなく、それを知りつつ拍車をかけるように原口はさらに口をふさぐことをしたからだと、ぼくが考えているところにある。

|

« 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」1 | トップページ | 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/48177153

この記事へのトラックバック一覧です: 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」2:

« 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」1 | トップページ | 「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」3 »