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2010/05/06

「奄美の『自分さがし』-アマミンチュとしての自覚-」1

 駒澤大学の須山聡教授から『奄美自立論』の書評をいただいた。正面から取り上げてもらう機会は当然ながら少ないので、感謝である。

 須山は「奄美は自らの帰属を自ら決定する機会を持た」ず、現在、「深刻なアイデンティティの危機」にあるとして、

 2006年そして2009年に,本土に暮らす2人の奄美出身者が奄美を見つめ直す著作を刊行した。高橋孝代『境界性の人類学-重層する沖永良部島民のアイデンティティ-』と,喜山荘一『奄美自立論-400年の失語を越えて-』である。高橋は沖永良部島で高校卒業までを過ごした,文化人類学を専門とする研究者である。与論島出身の喜山は研究者ではないが,ブログを通じて与論島・奄美に関する議論を展開している。

 と、高橋と私の二著を取り上げている。

 2人はともに1960年代に生まれた,米軍統治を経験したことのない世代である。したがって,彼らは生まれたときから本土の日本人と同様の政治的権利を有してきたはずである。その彼らが,本土と日本人に対して違和感や相容れない感覚を抱き,沖縄の音楽や言葉に身体的な共感を感じた経験を吐露している。これらの著作には,日本人でありながら日本の枠組みに入り切れていない奄美の人びとの迷いや苦悩が表現されている。いわば奄美出身者の「自分さがし」の記録がこの2著である。しかし著者らはただ思い悩むだけではなく,真撃で客観的な分析と懸命な省察の中から,それぞれの奄美像を見いだそうとしている。

 「沖縄の音楽や言葉に身体的な共感を感じた経験」は、『境界性の人類学』を読んだとき、同じであることに驚いた個所だった。それと同時に、自分が書く段になった際には、『境界性の人類学』が沖永良部発の奄美論であるとするなら、与論発の奄美論を書きたいモチーフも生んだ。与論は沖永良部と多く重なるところがあるが、またそれゆえ差異も気になるからである。

 須山は、高橋の引く、「鹿児島/沖縄」「日本/沖縄」「奄美/沖縄」という境界に対し、

 3つの境界がどのように導かれたかを高橋は明示的に示していない。おそらく筆者の20年弱にわたる生活体験が,「参与観察」の役割を果たしたのであろう。そのなかからこれら3つの境界が,ほぼ自明のものとして立ち現れたものと考えられる。これら3つの境界は議論の前提として提示されその妥当性が厳密に検証されることはない。

 と指摘するが、そう言われて初めてぼくもこれらが自分にとって自明の概念になっているのに気づく。生まれ島に対して、奄美、沖縄、鹿児島、日本は、自己であるとともに他者として世界観をいつも揺るがせる存在だった。それは所与の条件だったと思える。

 高橋は境界域に特徴的に見られるこのようなアイデンティティを「ボーダーアイデンティティ」と名づけた。沖永良部島には複数の境界がオーバーラップし,それらが複合しているが,だからといって住民のアイデンティティが境界によって引き裂かれたり,混乱しているのではない,と高橋は主張する。例えば日本復帰運動に見られるように,政治的には沖縄を拒否する心性が働こうとも,島民はエイサーに興ずることができる。政治的なアイデンティティと文化的なアイデンティティのありようは乖離しているが,島民はそれに無自覚であり,そこにある矛盾を矛盾と感じない。輻輳するアイデンティティを島民はありのままに受け入れている。

 ぼく個人は、「アイデンティティが境界によって引き裂かれたり,混乱しているのではない」とは言い切れない。分裂や混乱はむしろ常態である。しかしそれはぼくが島を離れた個人であることを自覚せざるをえないことからくる自己意識なのかもしれない。ぼくからすれば、島民は「輻輳するアイデンティティを島民はありのままに受け入れている」というより、アイデンティティに対して距離があるのだと思う。

 与論の場合でいえば、与論は沖永良部よりもさらに薩摩色は希薄化する。ここは西郷隆盛の訪れなかった島だ。その無色化ゆえに沖縄へのシンパシーも率直なものとして現れることもあれば、屈折のない分、鹿児島に属することへも当然のことと見なすこともある。アイデンティティは島の共同体のなかでは潜伏してこと極まらなければ先鋭化されない。


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