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2010/04/06

「沖永良部島における米軍基地拡張反対運動」

 5日の南海日日新聞の「談論」、「沖永良部島における米軍基地拡張反対運動」。

 3月28日、徳之島で米軍基地移設に反対する4千人規模の郡民大会が開かれた。半世紀前、知名町において米軍基地の拡張を阻止した町ぐるみの反対運動があったことは、『知名町誌』にも記されていない。半世紀前の米軍基地拡張反対運動を紹介することによって、徳之島への米軍基地移設問題を考えたい。

 1956年2月5日、田皆小学校に約3千人の町民が結集し、米軍基地拡張に反対する総決起大会が開かれた。占領時代、大山頂上に米軍基地が建設されていた。第313師団(嘉手納基地)の指揮下にある大型レーダーサイト・ネットワーク(沖縄本島南部与座岳、久米島、宮古島、沖永良部島)の一つである。恒久的な軍事基地の建設を沖縄に進めていた米国は、沖永良部島の西海岸(田皆地区)に滑走路と浮桟橋の建設を計画した。

 徳之島で普天間基地移設反対の集会が開かれたのは記憶に新しい。でも、沖永良部島でもその人口からすれば大規模な「米軍基地拡張反対運動」があったのは、奄美でも同時代体験をしていなければ知られていないのではないだろうか。

 奄美の場合、自身の復帰ですら驚くべき史実として知る。沖縄の場合、沖縄復帰はきっと教育過程で知るだろう。奄美では、沖縄の復帰を教育過程で知るが、奄美の復帰は教育過程の後に自覚的な探索の結果、知ることになる。驚きは二重だ。奄美も沖縄と同じ命運を辿ったのかということと、それを今ごろ知ることになるのか、ということと。

 それだから、

 当時、砂川闘争(東京都立川市)に代表されるように、全国各地で米軍基地建設(拡張)のための土地の強制接収に反対する住民運動が起きていた。沖縄は、武装米兵によって農民が土地から追われ、農地の強制接収があいついだことによって、島ぐるみの土地闘争の最中にあった。知名町における米軍基地拡張反対運動は、現代史(戦後史)の中に位置づけるべき闘いである。

 と前利潔が書くように、穏やかな島民性が想像される沖永良部島でも米軍基地拡張反対運動があったことは知られていいことだ。

 米国が世界的に進めている米軍再編における日本の位置づけは、必要な時に日本を兵站補給、部隊展開の前進拠点にすることだといわれている。普天間基地に所属する海兵隊は上陸急襲部隊という、最前線の部隊だ。後方部隊であった沖永良部島の米軍基地の性格とは、正反対である。また米国にとってみれば、思いやり予算などで、他国には例のないほどの基地経費を負担してくれる日本国内の基地の権利を手放したくないのだろう。民主党政権は、半世紀以上も続いた自民党政権による対米従属を転換し、普天間基地の県内・県外移設ではなく、即時撤去を米国に求めるべきではないか。

 同時に、徳之島へ波及している普天間基地移設問題は、奄美にとって沖縄が他人事ではないことを感じる契機にすべきなのだと思う。


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コメント

 立て続けのコメントで失礼します。
 沖永良部でそんな闘いがあったことを初めて知りましたが、レーダーサイトのような後方基地でさえ撤去されたのは住民の勝利というより、沖永良部が鹿児島県であることが大きい要因ではないですか?

>「民主党政権は、半世紀以上も続いた自民党政権による対米従属を転換し、普天間基地の県内・県外移設ではなく、即時撤去を米国に求めるべきではないか。」

 現時点では、新政権はそれをやりたくてもできないからこそ、何とか徳之島にわずかな可能性を見い出しているのではないでしょうか?上記のような主張を奄美の新聞がする事は、即時撤去が可能になるまで何時までも、沖縄に米軍基地を置いておけとの意味でしょう?

投稿: キー坊 | 2010/04/07 02:01

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