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2010/03/16

「支配背景に琉球の領土観」

 琉球大学「江戸立」探検隊についての南海日日新聞記事(3月4日)。

琉球王国の「江戸立」(えどだち)を追体験する琉球大学「江戸立」探検隊が奄美大島入りし3日、奄美市名瀬の県立奄美図書館で名瀬フォーラムを開いた。「琉球と奄美の歴史」をテーマに講演、討論会があり、弓削政己氏(奄美郷土研究会)は、「薩摩藩政下で与論以北が直轄支配になった背景に琉球側の領土、領域意識がある」と問題提起した。

 単純だが繊細な問題。

 講演は弓削氏と町健次郎氏(瀬戸内町立図書館・郷土館)が登壇した。弓削氏は琉球王府の文書「歴代宝案の咨文を基に直轄、間接支配を考察。そこには「一指舎てずんば肩背の全きを保ち難し、北隅の葉壁一島を割き、民の塗炭するを拯う」との一文がある。「王府は薩摩側に伊平屋島を譲って、民を苦しみから救う」との意味。
 弓削氏は「琉球側は島津氏が琉球を含めて支配するのではないかとの懸念を持っていた。王府には伊平屋島以南の領土と奄美諸島を含めた領土という2つの領土観がある。かつて王府が攻め取った奄美を薩摩の領土と したのではないか」との見解を示した。

 ここはもう少し言葉が必要だと思う。攻め取ったという意味では、沖縄島内部も同じことだからだ。ただ、領土観の濃淡はあっただろうと思う。

 町は「奄美呼称の来歴とその周辺と題して講演した。「奄美」とい地名は明治期の海軍地図から出てくること、開闢神話とも関係していることを紹介。「奄美という地名は日本と琉球を自在に結び付けて解釈できる呼称だった」と指摘した。

 これは昨日、見たとおりだ。

 討論会には学生たちも積極的に参加した。①奄美世、按司世、那覇世など奄美の時代区分は、現在の研究ではどのような解釈をしているのか②奄美は本土と沖縄から二重の阻害を受けていた。その脱出口として日本復帰があったのではないか③琉球は薩摩に対して被害者意識があるが、奄美を支配した。見方によって立場が変わる。歴史観の共有が必要-との質問、意見があった。  「江戸立」探検隊は名瀬フォーラムに先立ち、薩摩軍が奄美大島攻めの拠点とした深江ケ浦や奄美博物館、群倉(大和村)なども見学した。4日は鹿児島市でシンポジウムを開く。

 この質問に対する回答も聞いてみたい。特に、「奄美は本土と沖縄から二重の阻害を受けていた。その脱出口として日本復帰があったのではないか」については。(^^;)


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