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2010/03/26

「何をされようがたたかれようが」

 普天間基地問題で、徳之島や馬毛島が具体的な移設先として浮上してきている。

 平野博文官房長官は25日午後、鹿児島県の伊藤祐一郎知事と首相官邸で会い、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関して「地元を守る立場は理解するが、沖縄の負担は全国に分散しないといけない」と沖縄の負担軽減に理解を求めた。具体的な移設先には言及しなかった。

 伊藤氏は徳之島や馬毛島など鹿児島県内への移設断念を求める要請書を渡し、「県民は絶対反対で基地を受け入れる状況にない」と重ねて撤回を求めた。面会には徳之島を抱える地元首長らも同席した。

 平野氏はこれに先立ち連合沖縄の仲村信正会長とも面会。県内移設は容認できないとする仲村氏に「何をされようがたたかれようが、政府の責任で決断する。日本全体の問題だ」と語った。(「「沖縄の負担を全国に分散」普天間移設で官房長官が鹿児島知事に」産経新聞3月25日)

 「何をされようがたたかれようが」。歌謡曲か。今更になって開き直られても困惑するというものだ。そういう態度なら前政権と変わらないではないか。いや沖縄県外にする点で、前政権と異なるということだろうか。しかし、「日本全体の問題だ」と言いつつ、沖縄の周辺島嶼にするところ、同根の発想と思わざるを得ない。近代国家にとって周縁は中心を維持するための緩衝帯という発想を型通りになぞっている。


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コメント

喜山様、はじめまして。

私は徳之島出身で関西在住のアグンと申します。
高校卒業後進学し、以来時々帰省する以外、何年も島をれて暮らしています。

私の両親は今も徳之島に健在ですが、朝から晩まで一生懸命働き、不便な畑にキビを作り、牛を育てて大学まで行かせてくれた事は、感謝してもし尽くせません。

今私の故郷が政府によって米軍基地の島にされようとしていて居ても立ってもいられず、いろいろな情報を集めていて、喜山様のブログに辿りつきました。

与論島クオリアの奄美考察、大変興味深く読ませて頂きました。資料もとても参考になります。

私の両親共に、先祖代々徳之島で生まれ育ち、戦後の苦しい時代を生きてきましたが、過去についてあまり多くを語ろうとはしません。

たまたま小学生の頃、奄美出身の先生に島の歴史について詳しく教えて頂く機会がありました。

推古天皇の時代の歴史書に、奄美と徳之島からの朝貢の記載があること、その後のグスク時代、琉球支配、薩摩の侵攻、弾圧、明治以降の島しょの扱いや第二次世界大戦から米軍の沖縄上陸、その後の植民地時代について

外海から来る大きな災いに翻弄された島の歴史について、当時それまで自分は日本人という意識でしたから、まるで知らなかった奄美の実態を知り、とても困惑したのを覚えています。

それから数十年経ちますが、先生がおっしゃっていた事の意味は歳を追うごとにより深く心に刻まれています。

自分たちが何者であるか、島口や文化、風習はもちろん、私達の島の辿った悲しい運命は子供たちにも語り継がれていかなければならないと思っています。

これからも喜山様のご活躍を影ながら応援させて頂きます。

私は私達の故郷徳之島を守る為に、徳之島への米軍基地移設反対を唱えていきます。

奄美の島々はそれぞれが独立して違う顔を持っています。
どの島の自然も遺跡も先祖から大事に受け継いできた大切な宝物です。
大事に次の世代に受け継いでいって欲しいと願っています。

投稿: アグン | 2010/03/27 01:30

アグンさん

お返事遅くなってごめんなさい。

小学校のときに奄美の歴史を聞けたのはよかったですね。そういう経験はなかなかないのではないでしょうか。

今やっと、当時よりは史実が明らかになって修正すべき点も出てきていますが、伝えたかった先生の気持ちは大事にしたいですね。

投稿: 喜山 | 2010/04/07 07:19

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