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2010/03/13

多島域フォーラムのシンポジウムを聞いて

 2月13日の多島域フォーラムのシンポジウム、「薩琉400年: 東アジア島嶼圏の形成」を聞くことができた。

 「多島域フォーラムシンポジウム「薩琉400年: 東アジア島嶼圏の形成 -総括と展望-」」

【日 時】平成22年2月13日(土)13:30~17:00
【会 場】鹿児島大学共通教育棟2号館1階211教室
【内 容】
●基調講演
 豊見山和行(琉球大学教育学部)
  「島津氏の琉球侵略400年を振り返る -近世東アジア海域・陸域の変容と交流-」
 弓削政己(奄美郷土研究会)
  「奄美諸島史における歴史意識と認識 -東アジアを含む研究課題-」
●パネリスト
 杉原 洋(鹿児島大学法文学部)
   薩琉40年議論から見えてきたもの
 原口 泉(鹿児島大学法文学部)
   薩摩から見た琉球・奄美 -幕末の薩流関係-
 前利 潔(知名町役場)
   <琉球諸島>と奄美諸島 -道州制議論の前提的考察-

 豊見山和行は、1623年の「大島置目条々」で、奄美は大型船の建造は禁じられたが、中小型船はあり、薩摩との交易は禁じられたが琉球とはそうではなかったので、交易を維持していた。また、時代とともに、薩摩への交易の触手も伸ばし、支配域を抜け出す動きがあったと指摘。

 弓削政己は、400年に新たな問題意識も提出されたが、それは従来の修正に過ぎず、奄美像の全体観には至っていないと、いつになく厳しい指摘を行った。たとえば、「大島代官記」の「序」は、島役人が書いたものではないのに、ここ40年、島役人が書いたものと議論されてきた。それに端を発して屈折した議論がなされてきた。そのこと砂上の楼閣ではなく、そうならざるをえない課題はあるが、しかし、それは歴史学のなかでは砂上の楼閣と言わなければならない。

 パネルディスカッションで、得に印象に残ったのは原口泉。鹿児島大学という場所柄がそうさせたのか、言いたいように口にしていた。空虚な饒舌に変わりはなかったが。当時の国家間の関係や力学のなかで捉えなければ、薩摩が琉球がといっても水かけ論でしかない、などと。ある種の歴史家は、思考や口吻が為政者に似てくる。そこにふつうの人の姿は見えない。その亜種を見るようだ。


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