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2010/03/01

「文学が語る『薩摩侵攻400年』」

 大橋愛由等の<奄美ふゆ旅>の報告(「南海日日新聞」2月19日)。

(前略)翌日(1月19日)は和泊町歴史民俗資料館を訪れ、先田光演氏が迎えてくれた。さっそく去年からの研究成果を聞いてみたのである。
 去年先田氏は、『薩摩侵攻四〇〇周年記念藩政時代の沖永良部島の詳録』(和泊町)という告料・解説集を刊行Lで「薩摩侵攻400年」を考える沖永良部からの祖点を再構築した。藩政時代の資料を読み直すことで、「先田史観」ともいうべき視座を展開している。

その大きな特徴として表れているのは、沖永良部からの「薩摩世」に対一する評価である。島は、1609年の軍事侵略以降、薩摩の支配を受けながらも、薩摩と琉球に「両属」することになるのだが、沖永良部は、「両属」することによって、薩摩・琉球の両方の特質を吸収して積極的に島独自の社会や文化を形成していった。その例として、沖永良部の各地で見られる「ヤッコ踊り」は、薩摩から踊りの様式を、琉球から歌詞を取り入れ島で独自に阻噂して発展させたことを挙げる。こうして沖永良部島にかって「両属」は負的側面ばかりではなく、むし久「両属を活用した」(先口氏)と積極的に評価して、「400年語り」は各島ごとに差異があることが確認できるのである。

 以前にも指摘したことだが、薩摩と琉球への「両属」という視点は、両者からの政治的な否定という本質を踏まえなければ、ふやけた視界を得るしかないと思っている。奄美の置かれた関係の絶対性は、「あれもこれも」ではなく、「あれでもなくこれでもなく」だからである。

 しかし、「両属」の視点が沖永良部島から出ていることに根拠があるとしたら、黒糖収奪が南ニ島で遅れたように、沖永良部島と与論島は、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という規定のうち、「奄美は琉球ではない」という規定は北の島々に比べて弱かったということはできる。また同様の理由で「奄美は大和ではない」という規定も緩和を受ける。その二重の疎外の強度の低さが、両方の文化の吸収という余地を生んだと捉えることはできるだろう。

 『薩摩侵攻四〇〇周年記念藩政時代の沖永良部島の詳録』は、ぜひ読んでみたい。

(中略)奄美大島に到着すると、奄美市名瀬にある西和美さんの店「かずみ」に行く。もうすぐ2枚目のソロアルバムの収録に入るという和美さんのうたを聴くと、大島に来たのだという実感が沸々とわいてくる。

 そこに、詩人で本紙の文芸時評を担当している仲川文子さんらが到着。詩人仲間として語り合い、話題は奄美の文学全般に及んだ。わたしからは、奄美に旅立つ直前に神戸文学館(神戸市灘区)で「神戸震災文学を語る…詩・短歌・俳句・川柳」とのテーマで、シンポジウムを開催したこと触れ、震災にかかわる文学の評価と課題を整理する意味でも有効であったと報告。そうした意味で、奄美に大きな足跡を残した島尾ミホさん亡き後の「奄美文学」のありようについて語るイベントやシンポジウムが設定されてもいいのではないかと提案したのであるかそして、今年夏に行われるカルチュラルタイフーンでも、「奄美文学」をテーマにすることを予定していることもあり、「400年語り続編」は文学がらみで進めていきたいと思っている。(図書出版まろうど社代表)

 ポスト島尾ミホの奄美の文学の行方はぼくも関心がある。ぼくは、無謀かもしれないけれど、与論島の文学という視点からも接近してみたい。


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